源氏物語 86(皇紀弐千六百七十八年十一月三日 參)

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 私はお目にかかつたことはありませんが(欲しいなあ)、源氏物語は本當は、美しい大和言葉で書かれてゐるさうです。外來語である音讀みの漢字熟語はほとんどないさうです。古い寫本をみてもほとんどがひらがなださうです。

 因みに、漢字が我が國に傳はつたのが四世紀ぐらいと云はれてゐます。でも、我が國は、それをすぐに使ふことをしませんでした。元々漢字は、あの廣大な支那大陸においての、通信手段でしかなかつたのです(會話といふ言語ではなく)。そのまま使へるはずがありません。

 ひらがなが出来るまで三百年ぐらい漢字は我が國では使はなかったのです。たしかに、支那からはたくさんいろいろなものを導入しました。でも、ただそれを鵜呑みにはしてゐませんし、人間として許せないものは、導入しませんでした。奴隷制度・拷問・纏足などなど。

 話を戻します。大和言葉で書かれてゐるから、當然、讀むのにも適してゐます。うつくしい心地よさになるのでせうね。

 では、次囘から、源氏物語がどのやうに受け繼がれてきたかをみてまいりませう。

 つづきです。
 明石でうつうつとしていた日々をすごす光源氏です。露になると一層、鬱陶しくなります。

 光源氏は、とりわけ大切に思つてゐる三人の女性に手紙を書きました。紫の上、藤壺、朧月夜です。目に涙をたくさんためて。

 受け取る側の女性陣はどうか。まずは、紫の上。

 とにかく、光源氏が須磨に行つてからは、寂しくて寂しくて仕方がありません。ついに寝込んでしまひました。ひたすら光源氏が残していつた、調度や琴、衣裳に残つた匂ひなどを頼りにして昔日をしのんでゐました。あまりの衰弱に乳母も禱祷をお願いしたりします。

 紫の上も手紙を送り續けます。あはせて、遠流の地で必要であらう品々を添へて。そのセンスと手際の良さに受け取つた光源氏も逢ひたくてしかたがなくなります。かなひませんが。

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このページは、宝徳 健が2018年11月 3日 05:24に書いたブログ記事です。

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