つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年十一月五日)

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今日のの産經新聞朝刊 産經抄は良かったですね。残したいので書きます。
 禅僧で歌人の天田愚庵は正岡子規に短歌の開拓を促した人として知られる。ある年の秋、庭になる柿を病身の子規に送った。待てどくらせど返事がない。愚庵は気遣う歌を子規に宛てた。

正岡は 真幸(まさき)くてあるか 柿の実の 甘きともいはず 渋きともいはず

 真幸く、つまり「達者なのか」と。すでに礼状を出していた子規だが、急いで返歌をしたためた。

柿の実の あまきもありぬ かきのみの 渋きもありぬ しぶきぞうまき

 この一首を機に、子規は短歌に目覚めたという。

(中略)
 年賀はがきの発行枚数は年々減っていると聞く。SNSで新年の挨拶をつぶやけば足りる世代に手書きの一筆が伝える情感やぬくもりと説くのは、アナログ世代に生まれた身の負け惜しみかもしれない。平静が遠い時代となる頃、人は年賀状をどう語るのだろう。

 一説には「秋が来たら柿を送る」と励ます愚庵に子規は「死なずに待つ」と答えた。愚庵は実が熟すのを待てずに柿を送り、その深慮に打たれて詠んだのが「しぶきぞうまき」という。命の残照というべき余情は不便な夜中の贈り物である。

もうすぐ事故一年
 昨年の十一月六日に交通事故に遭いました。歩いてゐところを時速約70キロの車に跳ねられました。でも、腦にも首にも身体にもなにも影響なし。顔面だけ。眉間、顎、右目の下は骨折。顎は両方はずれました。歯は十四本飛びました。左上歯茎の骨も一緒に。完治まであと1年はかかるでせう。それよりも體力が著しく低下しました。普段は何ともないのですが、大丈夫な状態からがくんと落ちる時があります。ほんのたまにですが。
 
 さて、これから何をするか。體力を何とかしてつけます。歩かないとね。

 昔の私と云ふか、全盛期の私は、頭の中に5つのボックスが入っていました。そのうち3つに仕事を入れて使っていました。つまり、2つの餘力を残して。仕事がたくさんあるときも、4つ目を使って、1つは空けてゐました。それが今はせいぜい2つかな。體力より、これがはがゆい。あたまのトレーニングも必要ですね。

日韓「請求権資金白書」
 まあ、事實を示しても通じる相手ではないことはわかつてゐますが。昭和五十一年(1976年)に韓国・経済企画院から發行されたものがこれです。韓国の方から、「もうこれで終わり」と言つてゐます。
 あの國がどうなろうとも、私達は事實だけを知つておきませう。

をはり

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このページは、宝徳 健が2018年11月 4日 20:30に書いたブログ記事です。

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