源氏物語 94(皇紀弐千六百七十九年一月四日)

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中国で 中国美人を 見かけたり 絶海中津で 愛を叫べり

 三宅勇介といふ人の歌です。

 「絶海中津」は「ぜっかいちゅうしん」と讀みます。室町時代の禪僧のことです。五山文學の代表者です。なぜ、この歌に絶海中津が出てくるか。これは、三宅といふ人のパロディです。ベストセラー小説「世界の中心で、愛を叫ぶ」→「せかいのちゅうしん」→「ぜっかいちゅうしん」です。

 この歌は、出た當時は、かなり有名で、日本人の中にもこのパロディを理解する人はたくさんゐました。

 でも、今はどうでせう?この解説を聞かないとわかりませんよね。私も最初意味不明でした。

 文化と云ふのは、その時の國民の教養により、どんどんすたれていくのです。

 源氏物語は、藤原定家の時代には(今の私達のやうにここまでひどくなかつたでせうが)、さういふ変革期に差し掛かつていたのでせう。だから、源氏物語が讀めない。讀めないのを自分の教養のなさのせいではなく、源氏物語のせいにしてしまふ風潮が今、あるのです。 例えば・・・ つづく

 本文です。明石入道の使ひが光源氏の館までやつてきたところまででした。
 明石入道は、大臣家の出自でありながら、官位を捨てて出家し(だから入道)、明石の浦に立派な屋敷を構えて娘にのみ大望をかけてゐます。

 明石の善楽寺威光院 といふ 寺があります。ご本尊は阿彌陀如來です。

 以前、IKさんのここの連れて行つていただきました。興奮して寫眞を撮りまくつてゐたら、こんなとこに連れてきたら、一日中いるなあ(笑)。と・・・・。


本堂

 明石入道の墓。ここに明石入道の屋敷があったとされてゐます。

 えっ?實在の人物なの? と云ふ聲があちらこちらから聞こえてきさうです。さう云ふ質問を

無粋

と云ひます。

 以前、ある人から「神武天皇つて本當にいたのですか?」と聞かれました。カムヤマトイハレビコノミコトは實在の人物です(ここでは詳細割愛)。でも、やぼなしつもんです。だから、こう答へました。

「では、『カトリック教會主義に向かって、マリアなんて本當にいたの? 処女で解任するはずがないじゃん』って、聞いてみてください。喧嘩どころか殺し合ひになりますよ」と。

 事實と眞實と眞理は違ふのです。そんなことも忘れてしまつた私達です。
 
 紫式部はきつと、明石の状況を誰かから聞いて、誰かをモデルにして、源氏物語の中で明石入道を登場させたのでせう。

 それと、明石と須磨の地理關係がわかりませんよね? 適當な地図がないので貼り付けられませんが、電車で14分です。私は、月に10囘、仕事で明石に行きます。西宮を出て、須磨を通過したら「ああ、そろそろ明石だな」と云ふ感じです。近いですよ。ちなみに須磨は明石市ではなく、神戸市です。

 おつと、長くなりすぎた。明石入道の使ひがきました。數度のやりとりを經て、ひかるげんじが明石に行きます。つづく

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このページは、宝徳 健が2019年1月 4日 06:13に書いたブログ記事です。

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