超譯 邪馬台國は存在しなかった 7(皇紀弐千六百七十九年一月二十八日 四)

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 第一次安倍政權のときでしたっけ、支那と歴史認識の合同會議がもたれたのは? むだなことをするな~と思ひました。

 まあ、我が國の歴史學者なんて、ほとんど信じてはいけなません。そんな自虐的人間たちが、同矢つて攻め込んでやらうと考へてゐる、支那と何故、歴史協議をするのか。

 そんな我が國の歴史學會・歴史學者だ多いので、邪馬台国論争なんて不毛な議論が起きます。あそびならいいですがね。それが、敗戰後の我が國の不埒な過つた教育につながり、子供たちの心を侵します。

 この邪馬台國の支那の扱い方は歴史ねつ造のよい例です。
 それを日本の學者がへんに扱ひます。

 魏志倭人傳なんて云ふフィクションを歴史資料としてとらへてゐるのです。彼らの歴史に対する態度「ねつ造」をまともに扱ひながら。

 私達日本人は、支那人や朝鮮人のいら立ちを知る必要があります。自分たちにはなく日本人だけがもってゐる感性があるといふ。

 なので、歴史をねつ造しないと自分たちが壊れてしまふのです。

 だから、魏志倭人傳に「邪馬台国」「卑弥呼」などといふ蔑称も使ひます。それを平氣で教科書に載せているこつけいな日本。 どこまでお人よしなのでせう。

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このページは、宝徳 健が2019年1月28日 10:04に書いたブログ記事です。

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