つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十九年 令和元年六月十五日)

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国を支えて国を頼らず
 我が母校 慶應義塾大学創始者 福澤諭吉先生のお言葉です。最近の塾生・塾員(卒業生)は、義塾とかかわっても学問のすすめも福翁自伝も読みません。この言葉を知らない塾生・塾員も多いのでは?理念なき学問です。

 国会で、またアホな議論をしています。国家をどう導くかではなくどうでもいいことを。月5万円の話です。麻生さんの年金を聞いていましたが、おそらく麻生さんの年収だと年金はほとんどありません。麻生さんに貧乏人になれと言うのか。かつてサッチャーが言いました。「金持ちを貧乏人にしても貧乏人は金持ちにならない」。今の私たち日本人には明治維新をする力はありません。ということは、私たちがあの時代にいたら我が国はどこかよその国に征服されていました。ああ今、されているか。十四歳の女の子が攫われても助ける気もない国に。


悲しい事件の連続
 なぜ、2歳の女の子が、なぜ、三カ月の赤ちゃんが。憲法違反の 現行 憲法典下で、核家族化が進みました。家庭の秩序がなくなりました。うっとうしいことをみんなが避ける。すぐに かわいそう という。男の唯一の使命は、大切な人と自分より弱い人間を守ることです。だから力をつける。だから仕事をする。バカな男にはその力しかないんです。女性より劣る男にはそれしかできない。かつての女性はそれを知っていたから、男にその一点だけを求めました。悲しいなあ。


いじめ
 「いじめをなくそう」と、PC(ポリティカル・コレクトネス 一見まともな意見)が言います。人間社会から いじめ がなくなるわけがありません。そうやってみんなが避けるから、「ああ、ボクは(私は)かわいそうなんだ」と必要以上に思う。

 戦うことを教えることが大切です。向かって行くことだけが戦いではありません。うまい逃げるのか、服従するのか、トコトン闘うのか、その他の手があるか考えるのか・・・・。

 今は、喧嘩をするなと教えます。だから、いじめる方もどれだけいじめたらどうなるかを判断する力がありません。暴力と喧嘩は違います。自分の大切な人を守るためには時には喧嘩もしなければなりません。だからこんなことになる。大人の対応方法、そして、左翼が主導するPCの責任です。

高齢者運転
 他人事ではないや。私は交通事故被害者になりましたが、もし加害者になったと思うとぞっとします。地域によっては高齢者も車がないと生活ができない地域があります。でも、私はもう自分で運転する気がしません。

をはり

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このページは、宝徳 健が2019年6月15日 13:31に書いたブログ記事です。

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