命は吾より作す(皇紀弐千六百七十九年 令和元年六月十六日

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 六十にもなってまだ自分を振り返っている愚か者です。今回の入院は、こんなに点滴があると思わなかったので動けず思うように仕事ができませんでした。(点滴をしながら仕事をしていたら、点滴がうまく落ちないので、看護婦さんにバリ怒られました。「点滴が落ちなくて時間がかかるからおとなしく寝ててよ!」って。あの忙しい看護婦さんたちの仕事の時間を奪ってしまいました)。本は読めましたが。

 時間があったのでいろいろ考えることが出来ました。

 致知を読んでいたら久しぶりに安岡正篤先生のお言葉に触れました。やはり、いつも律しなければなりませんね。

「命は吾より作す(めいはわれよりなす)」

「人間が浅はかで無力だと、いわゆる"宿命"になる。人間が本当に磨かれてくると"運命"になる。即ち、自分で自分の"命"を創造することができるようになる。それを"命は吾より作す"という」

 致知にも載っていますが、易経にこういう言葉があります。

性を尽くして以て天命に至る

 性とは、天から授かったもの、持って生まれた能力のこと。それをすべて発揮し尽くして天命に至ることができる。

 俗に四書五経を支那の古典と言いますが、四書は五経よりも何千年もあとにまとめられたものです。五経は、まだ、支那がまともだったころのもの。五経は大好きです。四書は五経に基づいてただ理想論をまとめたものです。まあ、五経の解説版でしょうか。

 人のことはいいや。こんな世の中になってきました。人に何かを求めるよりも自分で何ができるかをもう一度見直します。天は、また、私に手術・入院を与えてくれました。何回やれば気づくんだと叫んでいます(天が)。天も我慢強いものです(笑)。

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このページは、宝徳 健が2019年6月16日 07:08に書いたブログ記事です。

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