千夜一冊物語(皇紀弐千六百七十九年 令和元年月九日)

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 今日は、長崎に原爆が落とされた日です。広島と共に絶対に私日本人が忘れてはならない日です。但し捉え方に問題があります。この時期になると「戦争の記憶」という言葉が横行します。違います。敗戦の記憶です。戦争を二度と起こさないなど、人間社会ではありません(いじめをなくすも同じ)。戦争は誰でも嫌です。やれば国力も疲弊します。そんなのは当たり前です。そう考えると先の大戦の(兵士たちは立派でしたが)指導者の罪は重い。特に、近衛文麿と山本五十六です(詳細割愛)。

 ただし、愛する人たちと愛する国家を護るなら、「敗戦」とは言わず「戦争にならない強い国家」であることが絶対条件となります。軍事力とは、

戦争をする道具ではありません。
戦争を防ぐ武器なのです。

 なぜ、我が国が 世界で唯一歴史が連続した人間社会の期性に国であるか。もちろん、皇室を中心とした「シラス」という国体の国民国家であったからです(他国の国体はウシハク=支配)。その国体を護るために常に軍事大国であったことも事実です。

 だかど、それをむやみに使ってはならないという強い意志で、天子さまは、最も信頼を置ける人間を征夷大将軍の人につけました。「武」とは「戈」を「止める」です。つまり、戦争をさせないということ。

 我が国では、右大臣よりも左大臣の方が位が高かったのです。他の国では、左よりも右が尊ばれます。我が國では、力が強い右はいざという時の備えで、普段は左に権威があるという考え方でした。素晴らしいと思いませんか?

 イザナギノミコトが黄泉の国から帰って、禊をします。左眼を洗ったら天照大神がお生まれになり、右目がツクヨミ。鼻がスサノオです。つまり、最高神は左なんです。私たちの祖先は、私たちに「平和を愛せ」と神話の中で遺言しています。

 でも、大国主が、兄たち(おそらく外国勢力)に殺されかけたときに、一度逃げてスサノオから武器を譲り受けて反撃します。私たちの祖先は、「平和を守るのはただ唱えるだけではなく大変なんだよ」と神話の中で遺言しています。

 なぜ、中世の欧州が大航海時代になったときに我が國を滅ぼせなかったか。それは、手が出せなかったからです。軍事大国だったからです。江戸時代は鎖国ではありません。カトリック教会主義を排除しただけです。つまり、武装中立平和国家でした。欧州が手が出せない国でした。

 我が国の理想の姿は武装中立です。しかし、兵器の高度化が進んだ現在、それを一国で実現するのは困難です。だから、集団安全保障。だから、集団的自衛権です(つまり同盟国で戦争を起こさせない)。こんなこともわからない人が多すぎます。
 今でも自衛隊は強い。だけど、自衛隊の能力をフル発揮させないために支那やロシアは、政治家などにかなり金をやって自衛隊がフルに活動する環境整備をすることを邪魔させています。支那やロシアは日本に強くなられると困るんです。

 「日本を強くさせない」というおよそ国賊のような考えで活動している「敗戦利得者」たちによって、また、不埒なアカイメディアや日教組によって、さらに、それに騙される不勉強な国民によって、この素晴らしい我が国が随分曲がってきました。

 

 敗戦間近の沖縄で軍が民に集団自決を命じたという嘘もそのひとつです。敗戦利得者によって喧伝されてきました。それを曽野綾子さんが見事に論破した本です。

 もうそろそろ目を覚ましましょう。

 そうだ、曽野綾子さんが(この本ではないですが)面白いことをおっしゃっています。

 「中国って、大国ではないのよね。でもあれだけ広い国土とたくさんの人間がいるから小国ではないのよね。だから中国なんです」。爆笑物ですね。

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このページは、宝徳 健が2019年8月 9日 08:23に書いたブログ記事です。

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