源氏物語 109(皇紀弐千六百七十九年 令和元年九月七日 四)

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 源氏物語は、千年経った今でも、紫式部がしかけた謎の解き明かしに熱中している人間がたくさんいます。千年の間にもたくさん。

 今は、室町時代の源氏物語研究者 四辻善成を紹介しています。

 四辻善成の源氏研究の成果は徒然草、枕草子の読み方にも影響を与えました。

 江戸時代の初期に、「寿命院抄 じゅみょういんしょう」という「徒然草」の注釈書が書かれました。著者の寿命院は、医者でもあり古典学者でもあった人物です。この本では源氏物語を読む解くために四辻善成が書き記した「語釈」がなんと徒然草研究にも転用されていました。

 枕草子もそうです。これは次回。

 では本文です。

 第十四帖 澪標(みおつくし)の住吉詣


 明石から、明石の君も住吉詣に向かっていました。すると光源氏の一行の素晴らしい一団が目に入ります。

「何事? すごーい」

 このあたりでは見たこともない素晴らしさ。そして、光源氏御一行と知りました。

「えっ、聞いてないし」

 光源氏一行には、光源氏の御曹司もいます(故葵上の子)。もちろん、周りからは特上の扱いを受けています。

 我が子と比べて・・・・。こんな時に、私が神様に捧げものをしたところで、神様は、お目に留めてくださいますまい。明石の君は進路を変えて、難波の浦でお祓いだけを済ませることにしました。つづく

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このページは、宝徳 健が2019年9月 7日 10:10に書いたブログ記事です。

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