私の履歴書 5(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月二十九日 七)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 さて、覚えていない豊中から大阪府枚方市牧野に引っ越しました。

 市営住宅だったと記憶しています(二軒長屋)。妹がまだ生まれていないので、私も4歳ぐらいです。牧野幼稚園に通いました。二歳上の姉と一緒に幼稚園に行った記憶にはないので恐らく4歳。

 家の目の前が広い畑でその向こうに京阪電車が走っていました。

 危険だから電車の線路より向こうで遊んではダメよ!!!母から厳しく言われていましたが、身体が弱いくせに好奇心だけは旺盛。バレバレなのによく遊びに行っていました。


牧野幼稚園の外観

枚方市ホームページより(まだあるんだ!!)

 幼稚園もあまり記憶にないのですが、三つだけ。お絵描きの時間があり、キリンの絵を描きました。絵の具だったかクレヨンだったかが滲んで、キリンの身体から黄色がはみ出してしまいました。何日か経って壁に全員の絵が貼り出されました。先生のコメント付きで。私の絵のコメント。「キリンが走っている姿がよく出ています」。私「・・・・・・・・・」。それ以来、図画工作が苦手になりました。

 ふたつ目。父兄参観がありました。親たちに先生が一人ひとり紹介します。私の番が来た時に、先生がいいました。「宝徳君はとてもやんちゃなこどもです」。私は自分はとても良い子だと思っていたのでショックでした。

 三つ目。祖母が敬老の日の前に当たりにおじちゃん、おばちゃんが来る会に来てくれました。桃太郎さんをみんなの前で歌付で踊ってくれました。うれしかった。

 です。つづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8453

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2020年4月29日 10:16に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「つれづれなるままに(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月二十九日 六)」です。

次のブログ記事は「インスタグラムの復活(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月三十日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。