大和言葉11 (皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月二十九日 五)

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 ホームページブログの方の社内研修資料が投稿できない状態になっています涙。ホームページブログの設定をあたらしたら、能力が低い私にはできなくなってしまいました。しばし時間を。


 さて、大和言葉までいなくても、聞いていて「なんじゃいこれは」と思う言葉がたくさんあります。「全然大丈夫です」が代表でせうか。「全然」は続く言葉に否定形がきます。「全然わかりません」など。「またく大丈夫」です。

 あと「ら」ぬき言葉です。「よく、見れますか?」などと聞かれたら、腰が砕けろうです。オリンピックのサッカーで点をとった選手が、「點を入れれてよかつたです」・・・・・。

 レスリング女子の金メダリストがインタビューで「お父さん」「お父さん」を連連発していました。「父が」でしょうが。聞いているこちらが恥ずかしくなります。

 何か不都合があると「すみません」「すみません」を連発している職場があります。人に何かをやつてもらつたときもそうです。間違つてはいませんが、もっと素敵な言葉があります。

 「恐れ入ります」です。「ご心配いただき、恐れ入ります」「お手数をおかけして恐れ入ります」など。
 「參りました」もそうですね。我が國は、勝負をして、相手が上回つているのに自分が気づいたら「參りました」と相手を敬います。これは、どこの國にもない文化です。

 日露戰爭で勝利をおさめた時、野木希典大將は、敵將 ステッセルと水師營でステッセルをきちんと遇する会見を行いました。ステッセルはびっくりしました。敵將に對する仁愛と礼節にあふれた武士道精神は、世界の称賛をあびました。大東亜戦争敗戰のときのアメリカなどは、事後法の東京裁判です。民度の差があまりにも大きすぎます。戦いが終わるとと相手を敬う。我が國特有の文化です。


 東郷平八郎聯合艦隊司令長官は。敵將 ロジェストウィンスキーを病院まで見舞いました。歐米ではありえません。


 リンカーンは奴隷解放と云いながら、自宅には数千人の奴隷を抱へていました。敵將の南軍リー將軍を辱めるため、リー將軍の自宅を、アーリントン墓地にしました。我が國とは民度のレベルが違ひます。

 「恐れ入る」「參る」。勝負にあっても、相手を尊重する、我が國の素敵な言葉です。

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このページは、宝徳 健が2020年4月29日 08:46に書いたブログ記事です。

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