コンサルタントが不要な社会(皇紀弐千六百八十年 令和弐年五月十八日)

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 十年前ぐらいには、支那の古典をむさぼるように読みました。

 四書五経のうち 五経はいまでも「面白いなあ~」と思います。あんな数千年前に書かれた詩経・易経・書経・春秋・礼記がいまでも面白い面白い。何の違和感もありません。特に(ど素人ですが)易経は大好きです。森羅万象を知るとはこういうことか。古代の人たちの感性と創造性とは、今の私たちにはまったく予想が出来ないものだ。と感じながら読めます。ということは、私たちは時代が進むにつれて退化しているのか。
 
 と思います。しかし、四書を読むと(論語・大学・中庸・孟子。四書は五経から数千年後の焼き直しなのですが)、何か違和感があります。

 何なんだろうこれはとずっと思っていたのですが、数年前に気付きました。ああ、彼らは、「自分達では絶対にできない(やらない)ことの理想論を格好をつけて語っているだけなんだ」と。

 その証拠に、今、四書五経のことを実践している支那人など、聞いたことがないからです。

 古代においてもよくもまあ、これだけ理想論を実践もせずに偉そうに嘘を言えるものだと思いますが、それでも、すごいのは読んでいて面白いんです(笑)。四書五経に限らず。
 管仲、諸葛亮孔明、司馬仲達、孫子呉子、太公望、張儀などの参謀をはじめ、食客などの話も。側近たちの物語、戦国策のあの面白さ。

 しかし、あれだけ乱れた時代で、皇帝にへたなにアドバイスをしようものならころされていた時代ですが、「経営コンサルタント」がどこにも登場しないんです。皇帝の参謀みたいな人はたくさんいますが。役割が幸せのうちに終わったのは、漢の高祖劉邦の参謀張良ぐらいでしょうか???

 あとは、みんな殺されています。尋常ではない手段で。

 そうなんです、経営コンサルタントなんで必要がないんです(自分の職業をあえて言いますが)。

 シンクタンクは必要です。でも、我が国にはシンクタンクはありません。アメリカ(あまり好きな国ではありませんが)は、政権が変わっても国としての一定した在り方があります。それを支える役割をシンクタンクが担います。

 経営コンサルタントだけではありません。考えてみてください。中小企業診断士なんて必要ですか? もともと、国の中小企業施策を中小企業に紹介するだけの役割だったのです。いつの間にか国家資格になっていますが。

 税理士は?弁護士は?司法書士は?社会険労務士は? すべては行政や司法という「国の仕事(もっと言えば官僚のしもべ)への対応」なのです)。

 こんなものは江戸時代にはなかったけど、みんな幸せでした。武士が町奉行をやれば済んだ話でした。

 昨日、「フリーダム」をテーマに書きました。

 経営者は社員がやるべき勉強自分がしすぎてはだめです。絶対にダメです。社員が考えなくなる。

 これをやりたがる経営者がたくさんいます。リスク満杯の経営です。

 経営者は、社員が勉強して提案してきたことを「きちんと判断する能力を身につける」ことが大切なのです。明治の経営者はこれができた。

 フリーダム。これから私たちが国家再生(ルネサンス)をやっていくための最大のキーワードです。

 政治家も官僚も民間も、それぞれが使命を果たし一身独立すれば(つまりフリーダム)、一国は独立します。

 それが、出光佐三店主が提唱した


真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える

です。ちんまい人間から脱皮したいわい。六十年でミスし続けたことを五年で取り戻します。

 私たちコンサルタントの仕事は、企業にコンサルタントが不要な状態を創造するお手伝いをすることです。つまり、企業のフリーダムを。

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このページは、宝徳 健が2020年5月18日 09:18に書いたブログ記事です。

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