昭和三十九年が東京オリンピックでした。私は六歳。まだ物心がつくかどうかの歳です。でも、鮮明に覚えていることがいくつかあります。感動とはすごいですね。
三宅選手の重量あげ。
女子バレーボール 東洋の魔女 回転レシーブ
欧米人に勝つためには、常識を破るチームを作る必要があります。それを実現するためには、かなりに変革が必要ですが、変革を理解できないメンバーからクレームが出ます。その時、大松監督は言いました。
黙って俺についてこい
これがリーダーです。今、リーダー不在の我が国をどうするか。どんなに科学技術が上がっても人間のリーダー力が落ちていたら何も実現しません。私を含めた今の経営者にその覚悟があるか。
政府が「働き方改革」など、のたまうと黙ってそれについていこうとする。反骨精神とは、その時に、「ふざけるな、働きがい改革だろう」ぐらい言えよ。
私の本棚にあります。戦前教育を受けた男の覚悟。
柔道でヘーシングに金メダルを取られた時には、ワンワン泣きました。
6歳でしたが、我が国が戦争で負けたことぐらいは知っていました。でも、東京オリンピックを観て、日本人であることに誇りを持ちました。「ああ、我が国は、戦争で負けたこんなにちっぽけな国なのにこんなにすごいんだ」と。
4年後昭和43年。メキシコオリンピック。センタフォワード釜本、ウィング杉山。杉山がサイドを素晴らしいスピードで駆け上がります。そして上げたセンターリングを釜本がシュート。東京オリンピックでTVが普及し、メキシコオリンピックでカラーテレビが普及しました。銅メダルでした。
日本人に根性があったころです。
それまでサッカーなんて興味もありませんでした。ミュンヘンオリンピックで金メダルを取ったバレーボールと同様。
興味を持ち始めたサッカー。数々のスーパースターがいるんだなあ、と思いましたが。その後サッカーに興味を持ちはじめ、私が一番感動したのが、オランダ ヨハン・クライフ です。「美しく勝利せよ」