美しく勝利せよ 1(皇紀弐千六百八十年 令和弐年六月二十四日)

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 昭和三十九年が東京オリンピックでした。私は六歳。まだ物心がつくかどうかの歳です。でも、鮮明に覚えていることがいくつかあります。感動とはすごいですね。

 三宅選手の重量あげ。


 女子バレーボール 東洋の魔女 回転レシーブ


 欧米人に勝つためには、常識を破るチームを作る必要があります。それを実現するためには、かなりに変革が必要ですが、変革を理解できないメンバーからクレームが出ます。その時、大松監督は言いました。

黙って俺についてこい

 これがリーダーです。今、リーダー不在の我が国をどうするか。どんなに科学技術が上がっても人間のリーダー力が落ちていたら何も実現しません。私を含めた今の経営者にその覚悟があるか。


 政府が「働き方改革」など、のたまうと黙ってそれについていこうとする。反骨精神とは、その時に、「ふざけるな、働きがい改革だろう」ぐらい言えよ。


 私の本棚にあります。戦前教育を受けた男の覚悟。
 柔道でヘーシングに金メダルを取られた時には、ワンワン泣きました。

 6歳でしたが、我が国が戦争で負けたことぐらいは知っていました。でも、東京オリンピックを観て、日本人であることに誇りを持ちました。「ああ、我が国は、戦争で負けたこんなにちっぽけな国なのにこんなにすごいんだ」と。

 4年後昭和43年。メキシコオリンピック。センタフォワード釜本、ウィング杉山。杉山がサイドを素晴らしいスピードで駆け上がります。そして上げたセンターリングを釜本がシュート。東京オリンピックでTVが普及し、メキシコオリンピックでカラーテレビが普及しました。銅メダルでした。

 日本人に根性があったころです。

 それまでサッカーなんて興味もありませんでした。ミュンヘンオリンピックで金メダルを取ったバレーボールと同様。

 興味を持ち始めたサッカー。数々のスーパースターがいるんだなあ、と思いましたが。その後サッカーに興味を持ちはじめ、私が一番感動したのが、オランダ ヨハン・クライフ です。「美しく勝利せよ」