大和言葉17(皇紀弐千六百八十年 令和弐年六月二十二日 弐)

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 この大和言葉シリーズは、過去にこのブログに書いた記事を編纂したいます。

 でも、編纂すればするほど、やはり、我が国の言葉を戻さないとと思います。

 現代仮名遣いは日本語ではありません。これは私の意見ではなく、私淑している偉大な福田恒存先生がおっしゃっています。米国および我が国をつぶしたい文部省(現 文部科学省)が、現代仮名遣い及び漢字を葬り去ろうとしました。その時に、福田恒存先生は、猛烈な抗議文をオフィシャルに発信しました。マスゴミは無視しました。

 今日の記事も私が平成二十七年十一月十日に書いた記事です。本来の日本語をお楽しみください。最初は読みづらいですが、慣れたら自分が日本人であることがわかってきます。

 さて、この短い二行。 「言葉は進化するんだ」ということをのたまう人たちへ。では十日をなぜ「とうか」としないのですか? 読みづらいをなぜ「よみずらい」としないのですか?

 そうです。まだ生きているんです。私たち日本人のDNAに。本当の日本語が。
 
しきしまの 大和の國は 言霊の 幸(さきは)ふ國ぞ ま幸(さき)くありこそ

 万葉集 柿本人麻呂の歌です。

 我が國は、「言霊のはきはふ國」です。言葉には霊的な力がありそして、きれいな言葉を使ふからこそ、みんなが幸せになる國です。人類の歴史の中で、我が國だけがこんな奇跡を成し遂げました。それを壊さないやうにしませう。

 そして、その言霊が宿る言葉は、現代假名遣ひでは出てきません。なぜなら、現代假名遣ひは、文部省が日本語を廢止しようとしてつくつた言葉だからです。

 さて、 數年前「オール」といふ言葉を知りました。
 若い奴らが一晩中遊ぶことをいふさうです。まあなんと情緒のない言葉でせう(嘲笑)。

 私も若いころ夜遊びはよくしましたが、一晩中「遊ぶ」ことはありませんでした。飲み明かしたことはありますが(どこが違ふねん。違ふんです)。

 一晩中の大和言葉は「夜もすがら」です。う~ん、ならオールは「夜もすがら遊ぶぞ」になるのでせうか?愛はないな~。

 「夜もすがらあなたのことを思つてゐました」。いいですね~。

 えっ?「夜もすがら飲む」とも云はないじゃないかつて? ・・・・・・・・

 「すがら」が「ずつと」です。

 ですから昼間は「日もすがら」が變化して「ひねもす」となります(もちろん「日もすがら」でも結構です)。

 「休日はひねもす本を讀んでゐます」。いいですね~。

 与謝蕪村の俳句で

春の海 ひねもすのたり のたりかな

つてありましたよね? 髙校の時に習ひました。

 我が國の言葉は、讀むだけで、そこにおかれてゐる人の状況や光景を感(觀)じることができます。

 一晩中馬鹿騒ぎして遊んだり、一晩中飲み明かしたりすることもたまにはいいのでせうが、夜もすがら好きな人のことを思ひ、ひねもすのたりすることもいいですね~。

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このページは、宝徳 健が2020年6月22日 08:45に書いたブログ記事です。

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