みどりの日

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  今日はみどりの日です。本来は、昭和天皇のお誕生日です。明治天皇、昭和天皇という素晴らしいお二人の天皇に今日の日本の礎を築いていただきました。
 昭和天皇は、明治34年、大正天皇の第一皇子としてご誕生になり、大正十年に大正天皇の摂政となり政務につかれました。その5年後に第124代の皇位につかれ、昭和64年1月7日にご崩御なさいました。
  昭和初期、国内は深刻は不況が襲い、国外では戦争に突入する気配が出てきました。ついに大東亜戦争(第二次世界大戦は後からつけられた名前です。歴 史の事実を曲げないとすればこの呼び名が正しい)開戦のいり、詔勅に「豈(あに)朕カ志ナラムヤ」という一句を加えられました。ほんとうは戦争は望まな い、という言葉です。

 戦争が敗色濃厚となるや、昭和天皇は一身をなげうっても悩む国民を救おうと、軍の圧力を押さえて終戦の道をお開きになられました。

 終戦後のある日、昭和天皇は自ら連合国軍司令官マッカーサー元帥をご訪問になられました。マッカーサーは、天皇は命乞いにくると予想していました が、昭和天皇のお言葉は「一切の責任は私にある。自分の身は任せるから、国民の飢えを救って欲しい」とおっしゃいました。 マッカーサーは驚きました。そ の後の国民と昭和天皇の深いつながりとあわせて、米国本国に「日本の天皇制を廃止したら、百万の軍隊を長期にわたって駐留させなければならない」として、 天皇制存続を決めました。当時の米国国民の40%は、日本の国を亡くしてしまって、日本人をすべて奴隷にしてしまえという考えを持っていたそうです。米国 よりもはるかにすぐれた文化と歴史を持った国が救われた瞬間です。

 昭和天皇は、現在の天皇陛下をわが子ながら抱いたことがないそうです。自分の子供を抱いて、子供に情がうつったら、国民を平等に愛せなくなるから だそうです。海外の王室のようにスキャンダルまみれになるのとは違い、日本の皇室のなんと無私な姿でしょうか。崇高です。天皇家は他国の王室と違い、征服 者ではありません。統治者であり、民族の代表者です。私たちが世の中でどんなに乱れても、わが国の歴史をそのまま体現していただいています。日本国民のな んと幸せなことでしょうか。

 私の大好きな昭和天皇の御製(和歌)を紹介しておきます。

身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民を思いて

国民(くにたみ)とともに心をいためつつ帰りこぬ人をただ待ちに待つ

五月晴内外の宮にいのりけり人々のさちと世のたひらぎを

日本人に生まれたことを神に感謝します。

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このページは、宝徳 健が2006年4月29日 11:44に書いたブログ記事です。

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