国民として忘れてはならじ①(皇紀弐千六百八十年 令和弐年六月六日)

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天安門事件
 学生時代 卒業旅行で大親友のYTJと支那大陸旅行に行きました。その紀行はこのブログでも掲載しましたのでご興味ある方は是非ご覧ください。当時の支那は、指導者が胡耀邦や趙紫陽です。親友は学生時代ほとんどすべての海外を一人旅をしていました。支那だけが初めてと言っていいぐらいです。

 親日の支那共産党であったにかかわらず、彼曰く「宝徳なあ、オレは今までいろいろ行ったけど、そのいろいろにあったトラブルや困難がこの国にはすべてつまっている」。

 まあ、親日だったので人民は親切でしたけど。

 それから、6年後に天文事件が起きました。平成元年(1989年)六月四日(かみさんの誕生日)に天安門事件が起きました。支那大陸旅行の時に行った天安門広場が映し出されていました。はずかしながら、私はこの時、中華人民共和国と支那共産党がべつものであることをしりませんでした。

 なので天安門事件の時に、(中華人民共和国軍と思っていた)支那共産党軍が人民に発砲していたときには、かなりショックを受けました。歐米軍や自衛隊でこんなことをやったら・・・。

 



 支那の憲法に軍の規定はありません。すべて共産党軍です。彼らの価値観はすべて(共産主義でもなく)共産党の維持です。もっと言えば為政者の自己保身です。

 あの、我が国に対して傍若無人でかつ自国民にこういう仕打ちをする支那共産党。我が国の国家戦略は、間違いなく、支那共産党の撲滅であるはずです。それなのに、なんで政界・財界・官僚・メディアに親支那共産党が多いのか? 金をもらっているとしか思えません。

 一番ひどかったのが、時の首相宮澤喜一です。この人名宰相と言う人がいるのが信じられません。天安門事件の時に、支那共産党は世界から総スカンを食いました。利用されたのが我が国。それも陛下です。訪中の要請がありました。支那から。それをやってしまったのが宮澤喜一です。

 我が陛下は世界の元首の序列一位です。欧米も認めざるを得ません。あとで、支那共産党高級感部のほくそえんが談話が発表されました。なんとまあ。この時も国民は怒りませんでした。

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このページは、宝徳 健が2020年6月 6日 12:21に書いたブログ記事です。

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