源氏物語119(皇紀弐千六百八十年 令和弐年十一月二十六日 參)

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 室町時代や戦国時代は、テレビのドラマを見たりしていると、なんか暗い時代のように描かれていることが多いですよね。 とんでもない誤解です。これがGHQ(占領軍)の、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム:戦前の日本はすべて悪だったというプロパガンダ戦略)に日本人が今だに騙されている事実です。

 武装中立国家で、あの惡の権化のような支那や欧州が我が國を攻めることができませんでした。文化が飛躍的に発展した時期でした。私が大好きな佐々木道譽 などのバサラが跳ね回ってる頃でした。わが国が歴史上一番たくましくキラキラした時代ではなかったでしょうか? 

 人々の考え方も恐ろしく合理的でした。昨日と友は今日の敵です。信じられるのは、自分の目で見、自分の耳で聞いたものだけです。自分の下した判断に責任を取れるのは自分しかおらず、もし判断にミスがあれば直ちに命を失います。自分だけでなく、家族も。だから室町は面白い。みんな、フリーダムを志向したのです。

 一条兼良は、まさに合理的精神の権化でした。合理的精神を古典文学の研究にぶつけました。

 それをはっきり示すのが、「伊勢物語」の解釈です。つづく

 さて、本文。考えに考え抜いたのは、明石の君ではなく、明石の君の父親 明石入道です。
 都から少し離れたところ、大堰川(おおいがわ)のほとりに入道の母が他の祖父に当る人の所領があります。今は、誰も使っていないので、荒れ放題です。まずは、そのあたりに明石の君と娘たちを住まわせ、都の気配を感じさせつつ光源氏の訪れを待つという作戦です。さてどうなるか。つづく

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このページは、宝徳 健が2020年11月26日 07:31に書いたブログ記事です。

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