源氏物語125(皇紀弐千六百八十年 令和弐年十二月十九日 弐)

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 源氏物語研究者の中で「雨夜の品定め」に最も敏感に反応したのが一条兼良でした。

 一条兼良の源氏物語解説の著書「花鳥余情」では、紫式部の分類好きと兼良の分類好きが呼応しています。俗にいう優秀な人って分類好きですよね(笑)。

 兼良は、紫式部の議論の組み立て(理論構成)をしっかりとそして見事に整理しています。

 兼良の整理好きは、源氏物語五十四帖の巻の名前についてもむけられました。第一帖「桐壺」から第五十四帖「夢浮橋」まではどういう基準で分類したのでしょうか?この分類は、私たち源氏物語の素人が知っていると源氏物語が読みやすくなります。つづく

 さて、本文。 
 明石の君のところに泊まりに行った光源氏です。次の日に、光源氏は京へ帰るはずでした。でも、寝過ごした上に桂の院にいろいろな人が訪ねてきています。それをむげにはできません。

 話は変わりますが、位置的な整理。大堰川のあたりの川辺に明石の君の住む館があり、そこから参道で1キロメートルのところに光源氏の御堂があろい、そこから少し離れたところに桂の院を光源氏が造りました。

 閑話休題。光源氏は「桂の院へ行く」と言って出てきました。でも、まず明石の君の館に行ってしまったのです。

 だから、桂の院にはすっぽかされた人がたくさんいました。それを無碍にするわけにもいかない光源氏は、桂の院に行きました。

 明石の君の館を出る時に、乳母に抱かれた幼子とは別れを惜しみましたが、明石の君が出てきません。どうやら、ひさしぶりに光源氏と会い、思いが乱れ、うち伏してすぐには動けなくなったようです。
つづく

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このページは、宝徳 健が2020年12月19日 07:01に書いたブログ記事です。

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