源氏物語122(皇紀弐千六百八十年 令和弐年十二月十三日 弐)

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 一条兼良は、一切謙遜をしませんでした。菅原道真に対して次の三つの点で自分の方が優れていると言いました。んじゃあ、五百年+五百年で千年に一人に天才じゃん(笑)。

一、血統の良さ:まあ、五摂家の生まれですから当然ですね。
二、身分:自分は関白まで上り詰めたけど道真は右大臣やんと
三、知識量:道真は、道真が死んだあと五百年の出来事を知らんやんと。当たり前ですが。

 ったく、子供みたいです。まあ、和歌の聖典古今和歌集が完成したのは905年。道真の没後です。伊勢物語が十世紀の後半。源氏物語が1008年。道真は係りようがありません。

 いんねんと言えばいんねん。まあ、いいや(笑)。つづく

 本文です。

 光源氏は落ち着きません。せっかく明石の君が近くに来たのに、紫の上の目が光っています。

 弁解がましく出かけます。

光「桂へ行かなくてはならない用事があって・・・。訪れると約束した人も近くに住んでいるし・・・。御堂の仏さまの飾りつけもすんでないし・・・」

紫「斧の柄が朽ちるまで長くお留守になさるのかしら。ああ、待ち遠しい」

と拗ねられます。

光「また、気難しいことを言って。もう浮気癖が亡くなったって世間でも評判ですよ」4

と機嫌をとります。よーいうわ(笑)。

 黄昏時に光源氏はこっそりと明石の君を訪れます。

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このページは、宝徳 健が2020年12月13日 14:40に書いたブログ記事です。

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