源氏物語130(皇紀弐千六百八十一年 令和三年元旦 六)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日は一条兼良から少し離れます。ただし、テーマのわが国は「やはらかい(やわらかい)」からは、離れません。
 
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、亡くなった伊邪那美命(いざなみのみこと)を助け出しに行ってできなかった黄泉の國から逃れ、川で禊をします。

 その時、左目を洗ったときに 天照大神が生まれ、右目を洗ったときに月読命が生まれ、鼻を洗ったときに須佐之男命が生まれます。

 つまり、我が国の最高神は、左目を洗ったときに生まれたのです。神話とは、後世の人間への先人の遺言です。

 今は、左利きが多くなりましたが、人間の多くは左よりも右のほうが力が強くできています。欧米や支那やアジアでは、左よりも右を重視します。國によっては、左手は不浄とする國さえあります。我が國だけが、左が重視されます。

 つまり、祖先は、私たちに、日本は平和国家であれと遺言しました。だから、朝廷では、右大臣よりも左大臣の方が位が上なのです。「やわらなかな國」。政治家にも特に官僚にも学んでほしいですね。

 我が國は分け合って余らせてきた和らかな國です。それが立憲主義違反の外国人がつくった日本国憲法「典」で奪い合って足りない国にされてしまいました涙。

 さて本文。紫式部にもそういうことを教えてもらいましょうね。
深草の 野辺の櫻し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け

 古今和歌集にあるこの名歌を、光源氏が詠んだあと、つづけて、自分の和歌を詠みます。

入日さす みねにたなびく 薄雲は もの思ふ袖に いろやまがへる

 西の空に群がる薄雲が自分の喪服の袖と同じ色を映して悲しい。という意味です。この歌からこの帖の名前が「薄雲」になりました。

 和歌の意味は、ああ、せつないなあ。人の力の及ぶことなんてこんなにむなしいのか、なんて意味ととらえてください。

 この歌に行き着いた光源氏に起きた出来事を紹介していきます。

 光源氏の亡妻は、葵の上です。葵上の父は、当時 左大臣でした。先ほど述べましたが、右大臣よりも位が高い。そして、この時点では、太政大臣です。位人臣を極めています。

 しかも、この太政大臣は葵の上が亡くなったあともずっと強い味方でした。その太政大臣が亡くなってしまいました。どんな力のある人でも人間は命には逆らえません。その後ろ盾をなくした上に・・・。

 なんと、藤壺の院が亡くなってしまいます。源氏物語のキーポーンとは桐壺―藤壺ラインです。次回は、ここを整理してから次に進みましょうね。つづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8613

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2021年1月 1日 16:45に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「白村江の戦い4(皇紀弐千六百八十一年 令和三年元旦 五)」です。

次のブログ記事は「私の履歴書 19(皇紀弐千六百八十一年 令和參年一月弐日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。