源氏物語134(皇紀弐千六百八十一年 令和參年壱月二十四日 六)

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 宗祇(そうぎ 1421年~1502年)の源氏物語観を観ています。

 宗祇が大成した連歌は、「五七五」と「七七」を交互に付けあう形式です。これが江戸時代に俳諧となり、芭蕉につながっていきます。前置きが長くなりましたが、松尾芭蕉が心の底からあこがれた宗祇という人物を紹介しながら、その魅力ある宗祇が魅力を感じた源氏物語をみてきますね。次回から(笑)。

 さて、それより本文。えらいことになっています。
僧「かつて女院(藤壺の院)が深く嘆かれたことがございます。私めに祈祷を願われました。僧侶の身には詳しくわかりませんが、今の大臣(光源氏)が都を離れたときも、ずいぶんと女院はおびえておられました」

帝「早く申せ」
僧「それと言うのは」

 ついに、僧の口から語られました。帝は、藤壺と光源氏の子だということが。桐壺院(帝)は、何も知らずにみまかり、その御子こそが、冷泉帝だということが。

 冷泉帝はもとより初めて知ることです。恐ろしいというか、悲しいというか、心の乱れはただごとではありません。高僧は、不興を買うのを恐れて退出しようとしますが・・・。

帝「待て。気づかずにいたら來世にまで咎めをうけただろう。今まで黙していたとは・・・なんたる心がけ。だが、このこと、ほかに知って漏らす者はいるのか」

僧「私と王命婦(おうみょうぶ:藤壺に仕えた第一番の女房)ほか知る者はおりません。それゆえ恐ろしいのですが、主上(帝)が幼く、道理をわきまえないうちは何も起こりませんが、お年を召されて道理がわかるようになると天はきっと咎めを示されます」

帝「私は父を臣下にしているのか。母もいろいと心労があったことだろう」

 思い当たることが多い。

 さて、冷泉帝はどうするのでしょうか? つづく

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このページは、宝徳 健が2021年1月24日 15:38に書いたブログ記事です。

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