今の多数は歴史上の少数(皇紀二千六百八十一年 令和三年九月三十日)

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 我が國は、唯一神話の世界から歴史が連続している人間社会の奇跡の國です。

 なぜ、それが可能だったか。正しい王道だったからです。この世で、今のところ、一番優れた「統治方法」は、「正しい王道」です。我が國の皇室のみが、それを実践してきました。 

 他國でも、たまに正しい統治者が出てきます。それを「覇道の支配者」がぶち壊します。
 我が國 皇室は先例重視です。先例にこだわりすぎて歴史を改革しないというのではありません。我が國、独自の文化に 他國から入ってきた文化が融合したときに、また、他國の文化を癒合させたときにはじめて受け入れます。

 漢字も入ってきて約400年ぐらいは、使いませんでした。

 それに絶対受け入れられないものは、拒否しています。支那の「拷問」「纏足」「科挙」などは、受け入れていません(科挙の代わりに高等文官試験だけ明治政府が受け入れて今のダメな官僚制度が出来てしまいました)。

 先例主義は、ながーい歴史の中で判断されます。今現在、それが正しいとしても、ながーい歴史の中でそれが正しいかを判断します。

 そうです。今の多数は歴史上の少数である、ということ。

 欧州などは、それをしないので、いつも血を観ています。


  政治スタイルは、民主主義でいいかもしれませんが、女系天皇や外国人参政権などの問題を論じる時は民主主義は、危険極まりありません民主主義はギリギリ許された政治スタイルであって國家統治のスタイルではないことを國民が知る必要です。

 なぜ、我が國だけが、世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の國だったか。正しい王道であり、そして、主権なんていう馬鹿な言葉はなかったからです。

 そして、我が國の統治者は天皇陛下しかありません。政府はそれを委託されただけの存在であるということです。

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このページは、宝徳 健が2021年9月30日 06:40に書いたブログ記事です。

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