道元の和歌5(皇紀弐千六百八十一年 令和三年二月十七日 四)

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慈円の花 ほととぎす 月 雪

を詠んだ國おこし音頭からです。再掲します。 今回は、ほととぎすです。

春のやよひの あけぼのに 四方(よも)の山べを 見わたせば 花ざかりかも 白雲の かからぬ峰こそなかりけれ

ほととぎす
花たちばなも にほふなり 軒のあやめも かをるなり ゆふぐれざまの 五月雨に 山時鳥(やまほととぎす) なのりして

秋の初めに なりぬれば 今年も半ば すぎにけり わがよふけ行く 月影の 傾ぶく見るこそ あはれなれ

冬の夜さむの 朝ぼらけ ちぎりし山路に 雪ふかし 心の跡はつかねども おもひやるこそ あはれなれ


 旧暦は、一、二、三月が春。四、五、六月が夏です。現行歴の五月下旬になると橘の樹冠いっぱいに純白の花が咲いて星をちりばめたようにきらめきます。そのころ、南の国からホトトギスが飛来します。




 旧暦五月五日は端午の節句です。現行歴だと六月十五日ぐらいにあたります。梅雨です。五月雨が降り続き、湿潤な気候のせいで疫病が跳梁をはじめます。

 端午の節句は、そういう季節を迎えて、生活様式を疫病予防型にきりかえる「節(ふしめ)」の「句(くぎり)」でした。

 アヤメの強い匂いが疫病をもらたす蚊・害虫・邪気を寄せ付けない。家々が沼・小川から引き抜いてきたアヤメをいっせいに軒端に挿してこの節句を替えました。

 そこにホトトギスが清らかに鳴いて日々の暮らしに潤いを点じてくれました。

 かつての京都周辺の山々は、寒冷系・温帯系のいずれもたくさんの植物がみられたため、北からも南からも渡り鳥がやってきて野鳥の宝庫でした。

 自然を痛めてはホトトギスがきてくれなくなる。豊かな自然を大切に守って季節の移り行く趣の深さを心の支えとして生きていこうではないか。この慈円の歌はこういう意味を持っています。

 まさに、國興しの歌ですね。我が國のことを知れば知るほど、我が國を誇りに思います。

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このページは、宝徳 健が2021年2月17日 06:30に書いたブログ記事です。

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