源氏物語142(皇紀弐千六百八十一年 令和三年七月五日 弐)

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 2007年から2008年にかけて、出光美術館で「乾山の芸術と光琳」が開催されました。私の古巣ですね(笑)。観に行きました。

 尾形光琳と乾山の兄弟が代表する琳派とは、江戸時代に王朝文学を蘇らせた「日本のルネサンス」と言われています。源氏物語や伊勢物語にDNAを持つ芸術が、江戸時代の人々の生活隅々まで浸透しました。

 欧州のルネサンスに比べてずいぶん穏やかですね(笑)。さすが我が國。

 その素晴らしい芸術の数々の中に乾山の肉筆画がありました。色とりどりの秋の草花を入れた三つの竹籠を描いた「花龍図」です。その中に和歌が書き込まれていました。

花といへば 千草ながらに あだならぬ 色香にうつる 野辺の露かな

 三条西実高(さんじょうにしさねたか)の作です。そう、次の源氏物語解説は三条西実高です。

 さて、本文。



 光源氏は二条院(光源氏の住まい)に帰って紫の上の御機嫌をとります。

 光源氏はいろいろな言い訳をしますが、紫の上は、一人一人の女性をとりあげで対抗します。このあたりなかなか面白いので読んでくださいね。

 そしてその夜、最愛の禁断の女性故藤壺を光源氏は思い出します。

なき人を したふ心に まかせても かげ見ぬみつの 瀬にまだとはむ

 みつの瀬は、三途の川です。亡き人をひたすら慕ってかけていっても、その姿を見ることなく三途の川で迷うことになるだろう。という意味です。ここで第二十帖「朝顔」が終わります。

 次回から「少女(おとめ)」です。第二十一帖。

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このページは、宝徳 健が2021年7月 5日 09:10に書いたブログ記事です。

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