私の履歴書 21(皇紀弐千六百八十一年 令和參年弐月九日 四)

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 私は、小学生まではとても喧嘩が弱かった。なのに、気だけ強いから六年生の時にこんな事件に遭いました。

 怖かったな~。この日は「ああ、もう今日は生きて帰れない」と父母に心の中で謝りました。

 すぐ近くに海がある街なのに、なんと、海辺にプールまであったのです。六年生の時に、そのプールで泳いでいると、無謀な泳ぎ方をしている人がいました。私にぶつかったので、少し舌打ちをしました。

 その時は、誰かが止めたので、その人は、私に手を出さなかったのですが、後日、またプールで泳いでいると、

「おい、そこの強い人。ちょっと顔を貸せや」

と、トイレに連れていかれました。そこには20人ぐらいの不良が・・・・。

 怖かったなあ。大人数で殴られはしなかったのですが、後日、その人が、中学一年生の学年番長の人だと知りました。その番長さんに何十発と殴られました。

 痛いというより恐怖です。さすがにこの時は、土下座をして謝りました。


 解放という名がぴったりの終わり方です。家に帰りました。顔はボコボコ。身体はあざだらけ。姉と妹は、声が出ていませんでした。

 父母は平気な顔。母が「どうしたの?」と。「階段で転んだ(そんなはずはありません)」。不良が怖いのではなくて(当時は先生はこの程度の問題は扱わない)、父母が怖い。負けたと言おうものなら、家からたたき出されます(実際は心配だったと思うのですが)。

 鍛えられましたね~。

力なき正義は正義にあらず

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このページは、宝徳 健が2021年2月 9日 17:25に書いたブログ記事です。

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