ビルマの真実2 ロヒンギャ(皇紀弐千六百八十一年 令和三年二月十日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 昨日の続きです。TVでロヒンギャの人間が、ビルマ(私がミャンマーと呼びたくないのをおわかりいただますよね)の軍事政権がどうとかこうとか騒いでいます。真実を語ろうとしないメディアが騒ぎます。よほど欧米が怖いのでしょうね。

 こういう「真実・事実」を私たち国民がもたないと政治家・官僚・メディア・学者に騙されてしまいます。まず、メディアの言うことは100%嘘と思って接してください。その後どう判断されるかはみなさん個々にお任せします。


 平成二十九年九月二十六日のこのブログの記事ですね。当時は、旧漢字と歴史的仮名遣いを使って書いていました。それを修正しましたが一部残っているかも(涙)。
 英國は、ビルマ(本当はこの名前)を支配するときに、ビルマ族を奴隷に叩き落としました。國民の少数民族及び周辺國の少数民族を連れてきてビルマ族を支配させました。王様も例外ではありません。王妃・王女は、自分の慰み者にするか、少数民族に払い下げるか奴隷として売り飛ばすか。

 この苛烈な英國の植民地支配に対して、敢然と反旗を翻して戦ったのがアウンサン将軍です。スーチーのお父さんです。英國は、彼をも殺し、スーチーを英國に連れていきました。英國人と結婚させ、戦後は、自分たちの植民地支配を覆い隠すために、民主主義の騎士としてスーチーを送り込みました。
アウンサンスーチー画像 に対する画像結果

 一方、ビルマが解放された後、のさばっていたのが、支那人です。ビルマ人は支那人を追い出すために、わざと貧乏な國になりました。金儲けができない支那人は出ていきました。でもまだ、その状況を打破するためには軍事政権にならざるを得なかったのです。戦後も欧米人は、軍事政權だ!と言って、ビルマに経済封鎖をかけ続けました。

 それでも優しいビルマ人は、自分たちをつらい目に合わせた少数民族を國外追放にはしませんでした。そこに帰ってきたのがスーチー。軍事政権とは何事だ、民主主義にせよと。英國じこみで。

 今、話題になつてゐる「ロヒンギャ」の祖先は、英國がビルマを植民地支配するために、隣の英國インド領、ベンガル地方(バングラディッシュ)から連れてきた人々です。英國植民地支配のころには、虎の威を借りる狐状態で、ビルマ人の土地を奪い、強奪、強姦当たり前。

 まあ、日本がどこかの國に支配され、支那人が暴れまくり、独立が回復したあと、その支那人を許せよということと同じです。ビルマ人もどうしてもロヒンギャを許すことはできません。それを「國際世論」だとか言っています。

 さあ、ビルマ(ミャンマーと呼ぶのはやめやう)が独立しました。英國は自分たちの悪行をばらされてはたまりません。

 まずはスーチーを送り込みました。スーチーが偉くなりました。スーチは真実をのでしょう。今度は、スーチーが邪魔になります。BBCが吠えました。吠えてゐるBBCの発言をうのみにしているのが日本のメディアです。何が知る権利だい。

 スーチーは実は悪だったのだ!

と。いまさら何を。一番悪いのは英國だろうが。欧米諸國はこぞつて黙認。だつて自分たちも同じようなことをやつたんだから。

 だから、歐米は、日本は侵略戦争をやつたんだ。植民地支配をやったんだ。南京大虐殺をやつたんだと、矛先を、我が國に向けます。世界とはこんなところなんです。何が小学校から英語だ!


 なにがすぐに「かわいそう」だ! こんな甘やかされた國民が、こんなすさまじい世界で戦っていけるのでしょうか? 情けない。世界では弱いやつ、謝る奴は、悪い奴なんです。

 支那と朝鮮を除いて、アジアは日本が大好きです。なのに、日本自身が、自虐的なことを言ったら、彼らの頭は????? になります。もうそろそろ目を覚ましませんか???

 閑話休題。こんなに素晴らしい我が國がおかしな國と呼ばれているもうひとつのことがあります。G7の中で共産党があるのは、我が日本とフランスだけです。でも、フランス共産党は、母國を愛してゐます。日本共産党は、我が国を潰そうとしています。それに投票するバカがいる國。

 共産主義とは

世界中の政府を轉覆させ、金持ちをぶち殺せば、人々は幸せになる

というとんでもない考へ方なのです。こんな政党つぶそうよ。それと組もうとしている民進党がいる。よくあんな政党に一時的にでも、政権をとらせたよ。あのとき民主党に投票した人間は万死に値します。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8686

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2021年2月10日 07:05に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「一等海佐大谷三穂氏(皇紀弐千六百八十一年 令和三年二月九日 七)」です。

次のブログ記事は「ついでに(皇紀弐千六百八十一年 令和三年二月十日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。