私の履歴書41(皇紀二千六百八十二年 令和四年一月二十九日 弐)

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 高校時代は、テニスばかりしていましたから、テニス部以外の友達もごく周りに人たちだけでした。好きな人はいましたが、みなさんが考えている「恋」というのはしませんでした。

 また、高校時代のことを何か思い出したら書きますね。番外編として。
 さて、一浪して、慶應義塾大学商学部に昭和五十四年に入学しました。私は、本当は理系で、東京工業大学、慶應義塾大学工学部、早稲田大学理工学部、東京理科大学、上智大学工学部を受けました。化学が好きだったのです。

 でも、受験をしているとなぜか経済や政治に興味を持つようになりました。文系では、試しに慶應義塾大学商学部だけ受けました。

 結果は、東京工業大学だけ落ちて、あとはすべて合格しました。私たちの時は、ちょうと共通一次試験のはざまで、現役の時に落ちたので、一浪して共通一次試験を受けました。

 高校に入る時も浪人していますから、合計で浪人経験二年です。だから、現役で進んだ人とは二年の差があります。

 高校に落ちた時は、あれほど怒った父ですが、大学浪人の時には、やさしく慰めてくれました。昼飯時に父の努めている会社に呼び出されて「ピザ」をおごってくれました(笑)。

 その時、「来年又、大学に落ちたら家を出て、自分で行きたければ大学に行くか、働くかしろ」と言われたのを覚えています。当然のことと受け止めました。

 だから、二年目の受験の時には、大学の願書の前に、まず、新聞配達奨学生のパンフを一杯集めたのを覚えています。

 私が慶應義塾大学に入った時、私がまず母に伝えました。母は仕事中の父に電話します(めったにない)。父は「わかった」と言いました。その夜、父は、これ以上酔っぱらえないぐらいグテグテになって帰ってきました。

 予科練に行った父は、大学に行きたかったのでしょうね。旅順工科大学に入りたかったとよく言っていました。余程私が大学に入ったことがうれしかったのでしょう。

 母は笑ってみていました。

 大学では、奨学金を49,000円/月もらっていました。もちろん、社会人になってから全部返しました。今、奨学金を返せない学生が増えていますが不思議です。

 さあ、私のキャンパスライフの始まりです。

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このページは、宝徳 健が2022年1月29日 07:07に書いたブログ記事です。

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