結果がベスト(皇紀弐千六百八十二年 令和四年一月十八日 參)

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 東京大学で行われた統一試験で、愛知県の高校二年生の男の子が、通行人と受験生に切りつけた事件が起きました。

 受験の失敗と人生の失敗は違います。経営の失敗と人生の失敗は違います。

 ある人が言いました。「本当によい経営者になるなら、倒産、入院、投獄のどれかを経験しないとためだ」と。

 慶應義塾大学の学生だった時も友人に東大受験に失敗したからとりあえず慶應義塾大学に来た、という人がいました。もう一度、東大を受けるのだとか(笑)。成功するはずがない。

 昔、とても優秀で人間性も良い友人がいました。医学部6浪人です。東大文一でも合格する実力がありながら、親が医学部しか認めてくれないですって。彼はどうなったんだろうか?

 意思決定をしたら、あとは結果がベストです。

 士魂商才第五十六号(平成二十四年八月号)の巻頭言を下記します。

 


【第五十六号:両忘】

 

 いつもお世話になっております。「士魂商才(しこんしょうさい)」の第五十六号です。タイトルは両忘です。「りょうぼう」とお読みください。

 

禅の世界では、一切の相対を捨てるために公案という修行を行います。一見、わけの分からない質問をして、そのことについて深く考えるというものです。人間の苦しみは相対から始まります。「うちの子はこうなのに、〇〇の△△ちゃんは」「あいつより自分の方が劣っている」などです。豊かさと貧しさを比較することもそうです。絶対も悩みを深めます。「スベキダ」「ネバナラナイ」発想になって心が凍りつきます。

 

 息子が小さいときに「お父さん、人間はいつか必ず死ぬの?」と聞いてきました。「死ぬまで懸命に生きるんだよ」と答えました。

 

生と死も相対です。禅では、生きるときは徹底的に生きよ。病気になったらそれに徹せよ。と教えます。過った個性教育をした戦後の日本の教育は、相対だらけです。だから、こんな日本になってしまいました。

 

かつての日本人と現代日本人の明らかな違いは「死生観」です。生きることにも死ぬことにも徹底する覚悟が今の私たち日本人にはありません。

 

両忘とは、AもBもどちらも忘れて「今、ここ」に徹底的に集中せよということだそうです。八月二十日に五十四歳になりました。五十三歳の一年で、私は天命を見つけることができました。しかし、まだ、この天命を果たす力はありません。天命に向かう行動がまったくできていません。残りの人生において徹底的に「生きる」ことに精進してまいります。次の世代に正しい日本と日本人の姿を残すために。

 

 今月号もお楽しみください。

感謝合掌

平成二十四年八月吉日

株式会社 経営戦略室

代表取締役 宝徳 健

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このページは、宝徳 健が2022年1月18日 08:53に書いたブログ記事です。

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