キック・ミ―(皇紀弐千六百八十二年 令和四年一月三十一日 弐)

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 これも交流分析という心理学のゲームの一つです。

【キック・ミー(私を蹴って)】
 私の知人にAさんがいます。Aさんは、人から自分が評価されるたびに、その評価してくれる人(Bさんとします)に意地悪をします。最初は、Bさんは、意味が分かりませんが、Aさんは、Bさんが怒るまで、いじわるなどをします。Bさんは、とうとう怒り出します。Aさんは、深層心理(自分では気づいていない:これが恐い)で、「ほ~ら、やっぱり、私をほめたことなんか、うそじゃない、おせじじゃない」と考えて、表面上は、「またやっちゃった」と反省しながらも、深層心理上は安心します。 

 
 子供から大人への成長過程で、否定(これをTA上はディスカウント(値引き)といいます)されて育った人は、人から褒められるなどのよい評価をされると、深層心理で「この人はうそを言っている」と考えて、相手をやっつけて、相手が怒ることで「ほ~ら」と安心するのです。安心するというか、自分の存在意義を求めるのです。否定されて育った人は、否定されることが自分の存在意義となります。肯定される(これを、TAではストロークといいます)ことは、自分の心理を不安定にしてしまいます。だから、わざと自分を否定させる「キック・ミー」です。恐いですね。

 PTAなどの教育現場を見ていると不安になることがあります。親(特に母親)が、自分の考え以外のことを子供が行動したら、否定します。勉強も、自分の進学の考えを子供に押し付けます。「切れる」というのは、極度の「キック・ミー(私を蹴って)」です。今の日本のくだらない知識教育を金科玉条にして、入る大学を親のステイタスにして、子供たちにいやおうなしにその道を進ませようとする。親が考えなくても、子供は、自分の人生ぐらい考える力があります。親が考えるから子供が考えなくなる。かつて、神戸でおきた、じゅん君殺害事件、サカキバラセイト(漢字忘れました)も、極度のキック・ミーです。親は、あの事件を自分の息子が起したことを信じていませんでした。

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このページは、宝徳 健が2022年1月31日 20:38に書いたブログ記事です。

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