私の履歴書43(皇紀二千六百八十二年 令和四年二月八日 參)

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 関東番長連合〇〇会の彼の家庭教師の件でしたね。

 びっくりするぐらい優秀な子でした。
寳「いいか~、わからなかったら何度でも聞けよ。わからないことを聞くのは恥ずかしいことではない。わからないことをそのままにするのがダメなんだ。いいか、何度でもだぞ」
彼「はい」

 という具合で、本当に何度でも聞いてきました。これは、私にもとても勉強になりました。教える側に必要なことは、教える側が知っていることを伝えるのではなく、受け手が生活習慣・勉強習慣を変えることが出来るような教え方や対応が必要なことをです。

 あるとき、家庭教師に訪問したら、まだ帰ってないと。お母さんもとても心配していました。

 すると、警察から電話が(笑)。

母「うちの子がまた何かしましたか?」(これがいけないです。パラダイムに溢れています)。
警「いえいえ、そうではなくて、弱い子が悪い子にからまれてしまったので、それを〇〇君が助けていたそうです。当方としては事情をうかがっているだけです。〇〇君が、今日は、家庭教師の先生が来るから、心配してはいけないから家に連絡してくれと言っているものですから」

 この話を聞いたときは、とてもうれしくなりました。

 また、あるお母さんが泣きながら

「先生、ありがとうございます。今まで、試験の日は、帰ってきたらかばんを放り投げて、もう学校なんて行くか!と言っていたんですが、この前の試験は、にこにこして帰ってきたんです」

 もともと頭のよい子でした。中学時代野球が好きで、甲子園に行きたかったのを、高校はそれを選択させず無理矢理別の高校にいれたからぐれました。お父さんは超有名な企業。お母さんは、ある短大の講師でした。親の思い通りに子供を育ててはいけませんね。成長を楽しまないと。

 確か200番以上成績を上げたんではなかったか。とにかく彼の家に家庭教師に行くのは楽しかった。 つづく

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このページは、宝徳 健が2022年2月 8日 08:06に書いたブログ記事です。

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