私たち主権者の怠慢と責任(皇紀弐千六百八十年 令和弐年六月六日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 私は、「国民主権」が大嫌いです。だいたい、国民主権という言葉が大好きな国民が、「主権」という言葉の意味を知りません(種々説はあるものの)。

【主権とは】
1.国家の統治権(国民及び領土を統治する国家の権力)
2.他国の支配に服さない最高独立性。対外主権
3.国家の政治の在り方を最終的に決める権利

 今の私たち日本国民にこれができて「国民主権」なということをほざいているのでしょうか?もっとも国民主権とはフランス革命から出てきた言葉でもあります。つまり、「国家を転覆してもよい権利」です。だから、彼らはすぐデモというテロ行為によって時の政権を倒そうとします。王を殺しました。勢いだけで。

 横田滋さんがお亡くなりになりました。心から哀悼の意を表します。そして、主権者と呼ばれる一人として心からお詫びします(こんな軽い言葉で許されることではありませんが)。


 私たちは13歳の女の子が他国に攫われても取り戻す意志もない国民なんです。



 今でこそ、拉致被害者の方々の存在は当たり前になっていますが、当初は、そんなことを言おうものならこの世から抹殺されていました(特に朝日新聞から)。

 そして、小泉首相が5人を連れ戻した時、金正日は、拉致を認めました。そのとき、金正日は、我が国との戦争を覚悟し準備を始めたそうです。

 なぜか。それが世界では当たり前だからです。

 なのに主権者である国民から北朝鮮に怒りを向けられることがありませんでした。「返さないとお前を滅ぼすぞ」と。逆に北朝鮮はおどろいたでしょう。

 めぐみさん、横田家の皆様におわびする言葉も見つかりません。

 これがみなさんが大好きな「国民主権」なんです。

 ソ連が崩壊した時もそうです。あの弱体化したソ連やロシアに国民は怒りの声を上げませんでした。「北方領土を返せ!」と。 

 大した主権者です。

 私? 私が総理なら、どんなに批判があっても。牢屋に入れられても、自衛隊に救出作戦を命じ実行させます。救出のための特殊部隊を創ります。憲法の制約? 馬鹿なことを言いなさんな。国民を救うことが出来ない 邪教 日本国憲法「典」であることは、今回の武漢ウイルスパンデミックでも明らかになったでしょう。

 だいたい我が国に「主権」などという言葉は存在しませんでした。大日本帝国憲法には「主権」という言葉がひとつもありません。

 欧米で「国家という概念」ができたのは、せいぜい1600年代の中ごろです。つまり、たかだか300年ぐらいの歴史しかありまえん。その時に必要だった言葉なのでしょう。我が国は、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国です。君民一体となって。数千年前から国家という概念がありました。シラスという世界で唯一の国体がありました。

 だから主権などというくだらない言葉は不要だったのです。

 自分だけ平和ならそれでいいという身勝手な平和主義なんてなかったのです。

 そして、我が国の統治者は陛下一人だけです。

 十三歳の女の子が拉致されても平気な国ではなかったのです。く~。

拉致被害者を取り戻す唯一の方法は国民の怒りのエネルギーです

領土を取り戻す唯一の方法は国民の怒りのエネルギーです

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8478

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2020年6月 6日 06:19に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「超訳 江崎道朗(皇紀弐千六百八十年 令和弐年六月四日 五)」です。

次のブログ記事は「大和言葉15(皇紀弐千六百八十年 令和弐年六月六日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。