赤べこに願う(皇紀弐千六百八十一年 令和參年壱月参日 參)

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 サラリーマン信州社員時代の赴任地が福島県郡山市でした。出張所です。みんな大きな配属されたのに、なんで自分と同期のODN君だけが主張所勤務なんだろう?と思いました。後で知ったことですが、会社の歴史の中で、新入社員が出張所に配属されたのは初めてなのだとか・・・。新入社員研修の時になんか悪いことしたかなあと思いました(笑)。

 営業エリアは福島県東通りです。相馬・双葉のあたりです。

 楽しかったなあ。なんでも自分でしなければなりません。だから、覚えるのが早かった。

 赤べこというのをその時初めて知りました。

 閑話休題。元旦の日経新聞朝刊 文化欄にこんな記事が掲載されました。要約しながら紹介します。

平穏な1年 赤べこに願う-震災復興・病魔払いの伝承、会津を研究半世紀- 石田明夫

 福島県会津若松氏に伝わる伝統的な郷土玩具に赤べこがあります。「べこ」とは牛です。


 赤べこの発祥地は、会津若松市から西へ25㎞のところにある柳津町です。只見川沿いの崖上にある福満虚空藏菩薩圓藏寺を中心に栄た門前町で、戦國時代には36もの宿坊が立ち並んでいたそうです。今でも当時からの旅館が残ります。会津では、十三歳になるとこのお寺に参ります。「十三講まいり」という古い風習です。

 

 この柳津町を含む会津地方を 慶長十六年(1611年)に大きな地震が襲いました。現在の基準でマグニチュード6.9~7.2!!! 3,700人が死亡、二万戸が倒壊する大災害でした。

 福満虚空藏菩薩圓藏寺の本堂はこの地震で倒壊します。立て直しにあたり、只見川上流の村々からの寄進を受け、川を使って資材が運ばれました。しかし、川から崖の上に運ぶのは容易ではありません。人々が困り果てたときに、そこに現れたのが 赤べこ だったのです。

 伝承によると、赤べこはどこからともなく現れて、木材運搬に苦労していた黒牛を助けたそうです。木材を運び終えるとお堂の完成を待たずに、赤べこは姿を消しました。お堂は地震の六年後の元和參年(1617年)に完成しました。

 その感謝とねぎらいの気持ちを込め、後に建立されたのが開運撫牛(かいうんなでうし)です。もちろん今もあります。




 赤色は、病魔を払うとされ、全国各地で「赤物」と呼ばれる郷土玩具が作られました。病人の病を背負うといわれ、赤べこも子供たちの健康を祈って贈られるようになりました。なかでも恐れられていたのが天然痘です。種痘が発見されるまでは、危険な病気であり、子供がかかると死亡率が高ったのです。

 赤べこの体には黒い斑点が描かれています。これは、天然痘ウィルスよけのしるしです。


 正德三年(1713年)に会津でも天然痘が大流行しました。そこで赤べこを持っていた人が、自分の子供にかからないように身代わりに黒い斑点を入れたろこと、かからなかったことから、広まったと言います。

 素敵な話しですね。我が國は 世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の國 なので、こういう伝承が破壊されていません。いいな~。日経新聞の文化欄は素晴らしい。

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このページは、宝徳 健が2021年1月 3日 05:20に書いたブログ記事です。

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