瀬織津比賣 2(皇紀弐千六百八十一年 令和三年三月五日 四)

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 大祓詞によると、流れの速い背に坐し、罪穢れを海に流す祓いの女神が瀬織津比賣(せおりつひめ)です。なので、
☆祓いの神
☆水の神
☆滝の神
☆(流れの速い)川の神
☆海の神

です。












 よくわからない神、しかし大祓詞に登場する重要な神が瀬織津比賣です。これが面白いんです。「正体」をめぐって様々な議論が展開されています。卑弥呼なんてレベルではなく奥が深い。









天照大神荒魂説

"瀬織津姫命は天照大神の荒魂あらみたまがである" とする説は、

神道五部書と呼ばれる、外宮の神職「渡会氏」によって提唱された「伊勢神道」の経典とも言える5つの書物の中に、下記のような記述が見える。

神道五部書より
  • 倭姫命世紀では、「皇太神宮荒魂 一名 瀬織津比咩神」
  • 天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記では、「天照荒魂 亦の名 瀬織津比咩神」
  • 伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記では、「天照荒魂 亦の名 瀬織津比咩神」

さらに、真言密教から見た大祓詞の解説書によると、

中臣祓訓解
  • 「瀬織津姫命 八十柱日神であり天照太神荒魂」

そして、皇大神宮の別宮「伊雑宮」の御師である西岡家伝承の文書には、

西岡家文書
  • 玉柱屋姫神 天照大神分身在郷 瀬織津姫神 天照大神分身 在河

とある。

中世末期から江戸末期まで、伊雑宮の祭神は「伊佐波登美命」「玉柱屋姫神(玉柱神)」の2座と考えられており、玉柱屋姫神は里に座す天照大神の分身で、瀬織津姫は河に座す天照大神の分身と解説するわけだ。

すなわち、天照大神・玉柱屋姫神・瀬織津姫神は同じ神であるというに等しい。

また、天照大神荒魂を祀る「廣田神社」の戦前までの由緒書に、

廣田神社由緒
  • 祭神の天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命:つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)は瀬織津姫である

と、ズバリ明記されていたらしい。

ここまではいい。

概ね、天照大御神(女神)の荒魂。その亦の名を瀬織津姫命(女神)といい、ときには玉柱屋姫命(女神)という。

ということだ。しかし、次の説は尋常ではない。

天照大神の妃(正室)説

瀬織津姫は天照大神の妃であったとする説である。

何が尋常ではないのかというと、言うまでもないが、、、

天照大神が男神であったことの証となるからだ。

ホツマツタエによると、


おもしろいでしょう。天照大神男性説は、たくさんあります。

ホツマツタエについては次回に。

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このページは、宝徳 健が2021年3月 5日 08:58に書いたブログ記事です。

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