私の履歴書 25(皇紀弐千六百八十一年 令和三年六月五日 六)

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 余談になりますが、三年生の時の担任のはなし。

 当時はスト権ストと言う愚かなことを教師がやっていました。
 背広に「スト権スト」と書いたワッペンを貼っていました。特に福教組は左翼のルツボです。

 頭にきた私は制服一杯にクリス・エバーとなどのテニスのワッペンを貼りました。

 すると担任が「それをすぐはがせ」と言いました。私は「先生がそのスト権ストをはがしたら私もはがします」と言いました。

 それだけではありません。

 ことありごとに対立(対決ではありません)しました。

 例えば「高校に行きたい」という不良を集めて勉強会をしました。頭がいいんです。すぐにおぼえる。みんな成績をうんと上げました。それが担任には面白くない。

  そんなこんなで私の内申書は最悪でした。一浪後 高校に入った時、高校の担任の先生が「なんで君はこんなに内申書が悪いんだ。いきいきとしているのになあ」と言いました。

 私は、高校で一年浪人したことを悔やんでいません。それどころか、現役で受験勉強をしているときに解けない問題がたくさんあるのが我慢できなくて、一年浪人したいと思ったぐらいです。中学の時の担任の責任にしたくない。

 そうではなくて、このおっさん本当に許せませんでした。

 後日談です。私が大学生の時に、姉が電車で、この中学の時の担任に会いました。

担「おお、宝徳、久しぶりやな。弟は今、どげんしよるとか?」
姉「ああ、〇先生、お久しぶりです。弟は今、慶應義塾大学に行っとります」
担「はあ、見栄ばはらんで本当のことば言ってんやい。あいつが慶應やら行けるはずがなかろうもん」
姉「本当ですよ」

 姉はプリプリしながら、「今日こげんとがあったとよ」と話してくれました。

 人間として最低なこんな教師がたくさんいました。

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このページは、宝徳 健が2021年6月 5日 07:27に書いたブログ記事です。

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