中村哲さん(皇紀二千六百八十一年 令和三年八月二十五日 參)

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 お会いしたことはありませんが、お亡くなりになった(殺された)中村哲氏は、福岡県立福岡高等学校の先輩です。素晴らしい功績を遺されました。

 心から哀悼に意を表します。残念で、残念でなりません。

 私が述べたいのは中村哲氏のことではありません。私たち國民のことです。4
 中村哲氏が殺されたとき、日本は、アフガン政府に「犯人を捜して引き渡せ!さもなくば軍を派兵するぞ!」と言いましたか? 政府だけではなく、國民が。メディアが政治家が官僚が。

 明治時代に、榎本武揚は、アイヌ女性がロシア人に蹂躙されたときに、ロシアに怒鳴り込んでいき「お前らは日本を三等国といい、不平等条約を押し付けているが、今回のことが、一流国のやることか!」と、怒鳴り込んでいき、女性の身を確保した上で、千島と樺太を交換してしまいました。千島樺太交換条約です。

 やはり武士出身は土性骨が違います。

 今回は、何も声がなかった。

 中村哲氏が殺されたとき、このことをこのブログに書きました。残念です。

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このページは、宝徳 健が2021年8月25日 18:23に書いたブログ記事です。

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