裁判所ごっこゲーム(皇紀弐千六百八十二年 令和四年二月七日)

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  一般的に心理療法において、患者が相手を防衛することを防衛機制といいますが、防衛機制に気づかせて、それを崩すことは、私たち素人には無理です。患者といっても、入院や通院をする人だけではなく、ゲームを行う人などを、ここでは患者と呼ぶことにします。
 交流分析(TA)の始祖である エリック・バーンは、防衛機制を崩すことが無理であるならば、患者がそれに気づくことで、ゲームを演じなくなる指導方法をとりました。

 ゲームよりもより楽しい、効果的な欲求の充足の方法(よいストローク)を学習する方法です。
 夫婦のゲームでよくあるのが(我が家ではしょっちゅうです)、電気をつけっぱなしにするとか、部屋の掃除が行き届いていないとかの理由で喧嘩が絶えないことです。

 これは、「さあ、とっちめてやるぞ、このやろう」というあら捜しのゲームです。

 防衛の面からいうと、お互いに親密になるのを怖れている夫婦が、相手を支配する形で、その恐怖を防衛している(怒りの正当化)状態です。

 これを、仲裁にはいろうなど、恐ろしいことをして、下手に解釈したりすると、夫婦は防衛をより強固なものにします。

 バーンの治療法では、このときに「ゲームの利益」を考えさせます。つけっぱなしの電気がどんなに積み重ねても、月にいくらにもならないこと、そんなことで喧嘩している不利益や、あら捜しにかける時間とエネルギーの非合理性などです。

【裁判所ごっこ】

 よく夫婦間で行われるゲームです。
 例えば、子供がけんかをします。その母親が喧嘩を止めようとする。そして言い合っています。そこへ父親が帰ってきます。父親が裁判官役になって、子供と母親の葛藤を裁くというようなケースです。

 うちの家は、私があまり、家に戻らないものですから、たまに家に戻るとき、この裁判所ごっこが良く起こります。私が余り相手にしないと、「冷たい」とい われます。ここが勝負どころ。ここで、「冷たいと思われるから、ちゃんと対処してあげないと」と考える人は、自分もゲームをしやすい人です。巻き込まれる と、延々と非生産的な時間が費やされます。また、巻き込むまで、キック・ミーをやってきます。

 この裁判所ごっこで、裁判官役になる人(この人もゲームをしています)は、裁かれなくてすむという快感を味わいます。そして、被告側も原告側も、面白くない状態でありながら、無自覚的に、自分の存在意義を示すことができます。

 この裁判所ゲームは、他のゲームとよく連動します。
 たとえば、自分に気に入らない判決が出たときに、自分の部屋のドアを「バタン」と大きな音を立てながら締めるケース。これは「からさわぎ」のゲームです。

 また、一人の欠点を挙げ連ね、それを認めてしまった判決が出る場合。「あなたは、こんな欠点があるんだから、気をつけないと」「そうね」という ケースにいたった場合です。これは「スィートハート」というゲームです。パーティや会食の席などで、よくご主人が「うちの家内は・・・」といいながら、わ ざと自分の奥さんを卑下し、奥様も「そうなんですよ~」といいながら、内心面白くない思いをするケースです。どちらも、無自覚的に、自分の存在意義を高め ています。

 おもしろくもあり、恐くもあるゲーム分析。あなたはどうかな? くれぐれも、他人のことを思うのではなく、自分のことを考えてみてください。他人はいじれません。いじれるのは自分だけ。

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このページは、宝徳 健が2022年2月 7日 07:18に書いたブログ記事です。

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