私の履歴書42(皇紀二千六百八十二年 令和四年二月六日 五)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 大学時代は、とにかくよくバイトし、よく遊びました。奨学金ももらっていました。バイトで四十年前で15万~20万円、奨学金で49000円もらっていましたから、かなり裕福でした。それも一回生の後半からです。

 ですから、一年生の前半から中盤はとても貧乏立ったと思います(あまり気にならなかった)。
 バイトはテニスのコーチ、家庭教師が主で、とにかく学校に行っている時以外は、バイトばかりしていました。女性関係? はっきり言って私は、女性に奥手です。学生時代は、女性と付き合ったことがない。というか、女性の扱いがとてもへたくそで、付き合えなかったと言ったらいいのでしょうか(笑)。付き合いそうになっても、どうやって接したらよいか、皆目見当がつきませんでした。

 思い出は、ある家に家庭教師として紹介されて、言ったときのことです。息子さんの家庭教師です。なんと関東番長連合 ○○会の総番長です。

親「こんな子ですがなんとかならないでしょうか」

 子供は嫌そうにしています。でも、頭がいい子だなあと、会った瞬間に思いました。それに北九州育ちです。大抵のことは怖くありません。

私「そうですか?良い眼をしていますよね!」
といったら、彼はニコッ~と笑ってくれました。

 なつかしいなあ。今、どうしているんだろう。少し彼のことを書きますね(つづく)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9006

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2022年2月 6日 07:47に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「源氏物語155(皇紀弐千六百八十二年 令和四年二月六日 四)」です。

次のブログ記事は「裁判所ごっこゲーム(皇紀弐千六百八十二年 令和四年二月七日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。