源氏物語155(皇紀弐千六百八十二年 令和四年二月六日 四)

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昔、男、妹の意図をかしげ(魅力的)なりけるを三位(美緒)利て、
 うら若にねよげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ
と聞こえけり、返し、
 (妹の)初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな

(兄が美しい妹を見ているうちに、自分以外の男が彼女を結婚して共寝するのを悔しく思った)

 表面だけ読めば、兄と妹の近親相関です。では、の武将でもある幽斎はどう読んだか。幽斎の言葉です。

 「世間では、兄が妹に対して好色な気持ちを抱いたと解釈しているが、それは間違いである。兄は妹を不憫に思い、憐憫の情を抱いているのだ。兄である自分は、この妹を美しいと思うし、彼女を妻にするのだったら幸せにしたいと思っているが、世の中の男たちは千差万別だから、妹が必ずしも幸福な結婚ができるとは限らない。それば、兄としてかわいそうだ、と心苦しく思っているのだ。

 そもそも、『伊勢物語』や源氏物語は、好色を描いているのではない。男と女を通して、理想の政治の在り方を書いているのだ。この段でも、兄が妹を大切に育むべきだという教訓が書かれている」

 兄が妹を、夫が妻を、それぞれ大切にすれば、美しい男女関係が発生する。その原理を、主従関係や友人関係、師弟関係へと次々に発展させれば、必ず理想の政治状況が出現すると 武将 細川幽斎は信じました(源氏物語ものがたり 島内景二氏)

 古典と言うのはすごいですね。それに対し、研究に研究を重ねてきた日本人はすごい。宗祇いらい「平和と理想」をテーマに追求してきたのです。「古今伝授」です。

 第二十二帖「玉鬘 たまかずら」に入ります。
 右近という女性を思い出してください。第四帖で、夕顔のそばにいて、夕顔が光源氏と一緒に里のあばらやへ忍び込み、逢瀬を重ねていた時に、もののけに襲われ、夕顔が亡くなってしまいました。その時、そばにいた女です。

 夕顔は、頭中将の恋人で一女までなしていましたが、本妻とのトラブルで幼い娘を他所に預けて身を隠していました。そこで、光源氏に出逢いました。

 右近は、夕顔の死後、光源氏の屋敷に引き取られて紫の上の侍女となりました。その間も、しきりに夕顔の娘を探していました。

 なんと夕顔の乳母が、この幼い姫君を預かっていて夫と共に地方へ赴任する時、姫を連れて行ったのでした。当時四歳だった姫も、今は、二十歳ぐらい。とても美しく育っています。

 さて、この姫君の運命やいかに。

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このページは、宝徳 健が2022年2月 6日 07:23に書いたブログ記事です。

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