源氏物語157(皇紀弐千六百八十二年 令和四年四月二十四日 參)

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 私は、源氏物語と島内景二氏の「源氏物語ものがたり 新潮社」に出逢うまで、こういう解釈で源氏物語を読めば楽しいんだなあと初めて気づきました。

 特に、この細川幽斎は武将なのに古典の俳諧的ばめにユーモラスを見つけています。厳格な武将が、囚われない心を持つ。まさに事上磨練であり、かなりの度量だったことがうかがえます。

 私など、古典を読むと、そのままそれを解釈しようとしてしまいます。私の足りない頭で、それをやってもどうしようもありません。身をゆだねればいいんですね。そして、何かに気づく。それが古典の読み方です。

 それにしても紫式部が千年前にかけたなぞかけをこんなにたくさんの人が現在に至るまでに研究し続けている。ますますのめり込みそうになります。

 さて、細川幽斎はこれでおわりです。

 本文です。第二十二帖 玉鬘(たまかずら)でした。
 紫の上が言います「明石の君くらい、お愛しになったのですか?」 やきもちです。

知らずとも 尋ねてしらむ 三島江に 生ふる三稜(みくり)の すぢは絶えじを

 三島江は、高槻にある歌枕です。「過去のいきさつついてあなたはくわしいことを知らないでしょうがいずれわかるでしょう。三島江にはえる三稜のように込み入ったつながりが絶えていないのだから」

 なんちゅう難し和歌だ。

 姫君から返ってきました。

 数ならぬ みくりや なにのすぢなれば うきにしもかく 根をとどめけむ

「どういう筋で三稜が根を下ろすようにこの憂き世に私は命をとどめているのでしょうか」

 合格です。光源氏は会いに行きます。夕顔に似ています。さあ、どうでる。光源氏!

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このページは、宝徳 健が2022年4月24日 17:47に書いたブログ記事です。

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