私の履歴書44(皇紀二千六百八十二年 令和四年四月二日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 関東番長連合〇〇会の総番長の家庭教師をしていた時の話しでしたね。

 ある時、親が「先生、本当にありがとうございjます!」と言ってきました。
親「今まで、テストの時に家に帰ってくると、鞄を放り投げて『もう二度と学校なんて行かない』と叫んでいたんです。それが今回は、楽しそうに帰ってくるんです」

 彼は中学時代には野球が好きで、甲子園出場を夢見ていました。それが親に有名校進学を半ば強制されて、やけになってしまいました。不良になりました。

 子供の人生は親のものではないのですが、子供を自分のブランド作りと勘違いする馬鹿な親も多くいます。

 だから、元々、頭のよい子です。根性もあります。それからどんどんと成績を上げて200番以上は上がったと思います。

 私が就職でそれ以上家庭教師を続けることができなくなった時、「先生、お礼に一緒に飲みに行きたいのですが」と言ってきました。

 今だったら大変なことになりますが、私も、中学生のころから飲んでいたこともあり、OKしました。

 その時、彼と六本木で待ち合わせをしました。その時が面白かった。つづく




トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9050

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2022年4月 2日 04:21に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「カチンの森事件(皇紀弐千六百八十弐年 令和四年四月一日 參)」です。

次のブログ記事は「第三者承継支援パッケージ②(皇紀弐千六百八十二年 令和四年四月二日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。