道元の和歌7(皇紀弐千六百八十一年 令和三年三月二日 參)

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 道元は、四十八歳の時に、執権北条より時の招きを受けて東下しました。鎌倉の人々を前に何回かの説法をしています。道元のこの歌はこの時に詠んだものと思われています。

 一説に道元は、政権に対する㊟着を捨てるように、時頼を諭したと言われています。

 今の、政治家に教えてあげたいですね。

 道元は、鎌倉武士たちをひとつ洗脳できないものであろうかと考えました。なので、慈円の今様を援用しながら、これこそが日本の神髄だと、説法を聴聞する人々に一首をつきつけました。

 自然と相和して共生して四季折々の移り行きに美と生きがいを見出す。それこそがわが国の伝統である。

 だから川端康成も「美しい日本の渡し」と題したストックホルムでの講演で、そのことを力説したのですね。欧米の皆さん、わかりますかって。

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このページは、宝徳 健が2021年3月 2日 16:23に書いたブログ記事です。

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