子供を護る(皇紀弐千六百八十二年 令和四年四月二十六日 弐)

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 今はやりのPC(ポリティカル・コレクトネス)のような子供の人権なんてくだらないものではありません。なんでこんなものを騒ぐ必要があるのか。子供と言うのは放っておくととても残酷です。きちんとしつけなければなりません。「躾」。つまり「身」が「美しく」ならない人間が育ってしまいます。
 
 PCというのは、「逆らうのを許さない」という左翼リベラルの常とう手段です。少数派を護るといいながら、逆らうのを許さないから、結果的に独裁や全体主義につながります。

 大人が子供をきちんと(厳しくやさしく)護るのは当たり前のことです。何もメディアや政n府に言われてやる事ではない。私たち、日本國民はバカではない。

 今回の知床 遊覧船の事故は、耐えられない悲しみがあります。
 子供は、大人に「船に乗ろう」と言われると、逆らいようがありません。むしろ、親と一緒に居られるのを喜ぶでしょう。

 どんな思いで亡くなっていったでしょう。耐えられない悲しさです。

 あの事故は、明らかに人災です。まず、船の会社の社長が一切出てきていません。事故を何度もおこしていたのに出港しました。波が高く、状況が悪いく、周りのみんなが(同業者も)止めても出航しました。リスクマネジメントも全くできていません。

 どんなことがあっても、これは出航してはなりません。

 メディアにも問題があります。さすが社会部ですね。佐々淳行さんによると。社会部というのは猛獣だそうです。なので、普段経済部と接している企業などは、不祥事が起きて、社会部と接するとびっくりするそうです。政治部は半猛獣だそうです。経済部は普通。

 全体的な基準を作るべきだとメディアは言っています。あたかも海上保安庁が悪いかのように。そんなことをしていたら規則だらけになってしまいます。

 要は、大人の問題。大人がしっかりしていればこんなことは起きない。基準を作るというのは、私たち國民が馬鹿だからと言われていると同義です。

 大人が幼稚になったなあ。私たちは猛省しないといけません。

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このページは、宝徳 健が2022年4月26日 05:19に書いたブログ記事です。

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