私の履歴書53(皇紀二千六百八十二年 令和四年七月十二日)

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 ひとり旅の続きでしたね。学生ですから、まだ、司馬遼太郎に騙されているうぶな頃です。街道をゆくを読んだら旅行に行きたくて仕方がなくなります。

 これが危険なんですね、俗に言う人気がある作家は、読者の頭の中に、自分の考えていることをイメージさせることができます。だから、嘘を書かれると大変なことになります。

 司馬遼太郎のような悪い作家ではなく、池波正太郎や志賀直哉などは、今でも、好きですが、お二人の本を読むと腹が減ってしかたがなくなります(笑)。

 街道をゆくのころは、まだ、司馬長太郎も良かったのかなあ(朝日新聞と付き合い始めて司馬遼太郎はどんどんおかしくなった)。 街道をゆくは騙されていても面白かったなあ。ポルトガルに出張に行ったときなど、ポルトガルのところを克明に読み、ポルトガルに行ったときは、たくさん歩きました。

 閑話休題。最初に行ったのは湖西です。私は、九州育ちですから、湖と言うのにあまり触れたことがありません。一時期、静岡県裾野市(当時は駿東郡裾野町)に住んだときは山の中です。小高い山の上から見る、駿河湾は海でした。夕方その山に登って観る駿河湾は、夕日を浴びて金色に光ります。なんて美しいんだろう? と、思いました。

 さて、湖西。湖とはなんと美しいんだ!
 堅田など、大好きでした。今は、ベッドタウンになっていますが、当時は田舎丸出しです。湖西線の駅では、よくベンチで寝たよなあ(笑)。今だったらたたき出されそうですが、「あれはやってはいけない、これもやってはいけない」という今の感覚はなく、大らかな時代でした。

 関西に住んで、車で、堅田に行きましたが、当時の店は(私が見つけられなかったのかもしれませんが)もう、ありませんでした。カレーライスがうまい、素朴な店。

 湖北まで、足をのばすと、もう、その美しさは、この世のものとは思えません。あっ、琵琶湖の事ですよ。

 余呉湖もいいなあ。我が國 日本は、なんて、美しいんだろう。どこに行っても美しく、そして、どこに行っても食べ物がおいしい。こんな國はないですよね。

 湖西から観る湖東の美しさは、湖東から観る湖東自身の美しさよりきれいに観えるのは私だけかしら。

 大阪に住んでいますが、北陸に仕事で行くときに、湖西線を選択することがあります。朝一番で行くと太陽の光を琵琶湖が浴びて、そこに湖東の三上山とか、岐阜と滋賀の県境にある、伊吹山がくっきり観えて、とても素敵な風景をプレゼントしてくれます。もちろん鈍行列車の旅です。

 次はどこを書こうかなあ。

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このページは、宝徳 健が2022年7月12日 10:07に書いたブログ記事です。

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