中村哲さん(皇紀弐千六百八十四年(2024年)二月十一日 3

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 私の出身高校は 福岡県立福岡高等学校です。偉大な先輩たちがたくさんいますが、中村哲さんもうそうです。アフガニスタンでアフガン國民のために偉大なる功績を遺されました。

 なのに、アフガンの國民に殺されました。

 この事件が起きた時に、日本國民は、中村哲さんの功績を称えただけでした。

 誰も「少なくともアフガン政府の真摯なる謝罪を引き出せ!場合によっては軍を派派兵しろ!」という声は皆無でした。

 かつてイギリスの首相 パーマストンは、自國民が他國に辱められた時、軍を派遣してその國に英國存在を知らしめました。

 榎本武揚は、ロシア人がアイヌ女性に悪戯したときに、ロシア政府に、それで、先進国かとねじ込み安全保障上必要な領土を拡大しました。

 えらい違いです。

 北朝鮮から拉致被害者の方が5名帰ってきた時、金正日は、日本との戦争を覚悟しました。でも、日本人は、帰国を喜んだだけで、北朝鮮に怒りを向けることはありませんでし。それに安心した金正日は拉致被害者を返すことはありませんでした。

 ソ連が崩壊した時に、北方領土を取り返す大チャンスでした。でも、日本國民はそれを政府に迫りませんでした。ソ連は、「日本人は口先で返還を言っているが、本気ではないなあ」と、返さなくなりました。


 日本國憲法「典」(憲法ではない)の平和主義とは、自分だけ平和ならそれでいいというものです。この負犬根性が主権者國民にしみついています。こんな国になってしまいました。


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このページは、宝徳 健が2024年2月11日 09:16に書いたブログ記事です。

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