日本のようになるな⑤(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)二月二十九日) 2

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 昨日の「日本のようになるな④」でこう書きました。「私たち國民も物価や株価などにターゲットなどのミクロ経済(結果)にターゲットを当てるのではなくこういう事実を知った上でマクロ経済を知らなければなりません。それを次回書きます」

 こういう事実というのは、日本は人災で30年間國民(GDP)を伸ばしてこなかったことやその間に他國は、貨幣流通量の発行をどんどん進め、そして、GDPを伸ばしてきたことです。

 私たちの学生時代の東京は物価が世界で一番高い國でした。ビッグマックプライスというのがあって、マクドナルドは世界中どこにでもあるのでビッグマックの価格を比べると世界の経済水準がわかるというものです。

 でも、我國は豊かだったので、ものを買わないということがありませんでした。サラリーマンはちょっと働いたら(真面目に)、年収500万円ぐらいはすぐに稼げました。

 プラザ合意を経て、我國はバブルに向かいました。バブルがいいとか悪いとかいうのではなく、弾けたときのバブルの状態は、負債が増えたのではなく資産価値が相対的に低下したのです。

 「結果」として「資産の相対的低下」をしたのに、その結果に対して「相対的に増加している負債」に対して不良債権処理を行なってしまったのです。確かにバブルの罪はありました。任侠がヤクザ化し、暴力団になりました。暴力団の目指すものがお金になりました。いきなり総量規制などで、人災みたいに資産価値を下げたらこうなることはわかっていたはずです。

 リーマンショックのときにアメリカは資金供給量を大幅に増やしました。
 つまり、資産価値が相対的に低下しない対策を打ったのです。

 日本は、財務省が緊縮財政に走り、日銀が貨幣供給量の大幅減を実行しました。結果として、若者たちの不幸、少子以下社会、暴力事件の増加等々を生み出しました。

 敗戦後の経済を立て直した池田勇人首相は、所得倍増計画を打ち出し、官僚と日銀に対抗しました。共産主義などの変な思想にかぶれるより、人々は真面目に働いた方がお金が儲かるから懸命に働きました。高度経済成長が実現しました。

 池田首相がいなかったら、日本は、共産主義勢力が跋扈したでしょう。

 閑話休題。物価が上がるとか、株価が上がるとか(株価が上がっているのは支那共産党の経済政策が失敗し世界の資金が、経済成長はないが対外純資産世界一日本に向かっているだけです)。賃金がいつまでも上がらないとか、こういう、結果にターゲットに当てて対策を打つことを愚策といいます。

 今の我國が停滞している「原因」は、人災で経済成長がなされないだけです。國民もその停滞を望んでいるよな政策を支持しているだけです。ミクロ経済に対策を打っていたら、金がいくらあってもたりません。

 ことしの子供の出産数は75万人だそうです。過去最低です。人生80年生きるとしたら将来日本の人口は6千万人になってしまいます。

 経済が停滞することも懸念されますが、世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の國の素晴らしさ(価値)を実現するために懸命に生きる人間が少なくなることをこそを嘆きます。

 もうそろそろは敗戦のトラウマから目を覚ましてはどうでしょうか?

 聞いてる?日本ミクロ経済新聞さん。週刊ミクロエコノミストさん。

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このページは、宝徳 健が2024年2月29日 04:55に書いたブログ記事です。

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