勅語は國会では廃止できない(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)三月十一日)

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 毎朝、般若心経・教育勅語・大祓詞(おおはらへのことば)を暗誦しています。今、観音経を暗記しています。

 日本の社会では「教育勅語」が好きだというと、バッシングを受けます。我國は、表現の自由の國」ではなかったのでしょうか? それでいて共産主義左翼リベラルが嘘八百を言っても許されます。

 我々が本当のことを言っても鼻から否定されます。彼らは教育勅語は国会で廃止されていると言いますが、国会に勅語を拝する権にはありません。それにちゃんと教育勅語を学んだことがないのに、偉そうなことを言うな。素晴らしい勅語です。だって天才であり我國の英雄である井上毅が日本の歴史を何日もかかって調べ上げた結果みつけた「シラス」という我國の國体が見事に教育勅語と第日本帝國憲法に生きています。

 敗戦パラダイムです。天皇制が悪かったといます。天皇制とは共産主義が我國をつぶそうとしているための言葉です。

 何一つ変わってない事実を申し上げます。

我國は本来世界最高の立憲君主國

ということです。一番弱い國体は立憲民主義です。

 民主主義國家は、時として愚かに化した民が選んだ政府が堕落します(それを民が責任も負いません)。その時に、軍が一時立て直しに入ります。それを戒厳令を言います。軍は戒厳令の訓練も受けています(自衛隊は戒厳令の訓練を受けていませんが)。

 それでも、國が乱れる時は、この時、君主自らが立て直しに入ります。ニ・ニ六事件の時に昭和天皇が近衛兵を率いて鎮圧に出られたとき。軍も政府も機能しなくなった時に鈴木貫太郎首相が、陛下に裁断を求めた時。これが立憲君主國の君子が初めて御自らの決断をする時です。よほど信頼された君主でないといけませんが、我國は、何千年もそれをやってきました。

 立憲君主國以外では、このこの君主の役割を果たせる人がいませんから革命が起きます。フランス革命がそうですね。

 そして、憲法は、政府も軍も対応できない事態が発生した時のセイフティネットが定められたものです。残念ながら日本國「典」はその機能すらありません。憲法とは、歴史・文化・文明・國体を破壊されそうになったときのことを文章で現したものです。でも、日本國憲法「典」は、全くそれを果たしていません。日本國憲法「典」は、完全に憲法違反なのです。憲法改正論議はそこから始めなければなりません。

 閑話休題。今は、真の憲法が破壊されているだけです。もうそろそろ目を覚ましませんか? 

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このページは、宝徳 健が2024年3月11日 02:47に書いたブログ記事です。

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