久坂玄瑞の和歌(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月十九日)

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  昨日に続いて、久坂玄瑞の歌を紹介します。

 けふもまた 知られぬ露の いのちもて 千歳を照らす 月を見るかな

 どうしてこんなに上手な和歌が詠めるのだろうか。幕末という世界での為せる業でしょうか。

 すさまじい歌ですね。ものすごい緊張感です、あったこともない百年以上前の人の歌なのに、久坂の心情が今もまた伝わってきます。「露のいのち」とい うのは、中世から「はなかい」という意味で使われてきたことばです。日夜刃のもとを生きている彼らです。明日をも知れる生命の危機感の中で、永遠に変わらぬ月をみています。命を懸けた行動の瞬間のほっとした安らぎがあります。昔の日本人は、みんな和歌が詠めたのですね。私たちはどうしてしまったのでしょう か。


【今日の拙首です】

いかに生く 身を置く時代 にらはれず  己の身勝手 くやしく思ふ

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このページは、宝徳 健が2024年4月19日 04:13に書いたブログ記事です。

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