小説 ホワイトハッカー純情5 (皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月十九日)3

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「ごげな難関を本当に乗り越えられるか」

と、健は考えた。決して最初からお気楽に考えたわけではない。

 「世に優れた事績を遺した人々は常にこれを通り抜けてきたではないか」とも考えた。

 敬愛する出光興産株式会社の創業者 故出光佐三店主は、敗戦後まもない頃、イランに石油をとりに行った。製油所を持たない出光興産は、たった一隻のタンカー日章丸をイギリスの軍艦に拿捕されれば、倒産以外の道しかない。迷いに迷った。石清水八幡宮に詣り、弓矢を買い求めた。矢を日章丸に例えたのだ。「矢は放たれた」と佐三店主は思った。やれるだけのことはやったのだとも。優れた事績を遺す方々は、みな最後は楽天的になっている。そうでないと決断できないのだ。

 決断とは、一つのことを決めることではない。他の決断要素を捨てることなのだ。明治大帝しかり、昭和天皇しかり、いにしえの北条時宗しかり。

 今回の、ホワイトハッカー挑戦への決断は、過去の英雄に比べたら大したことではないが、それでも、コンサルの現業をやりながら、学習の時間を取る決断をするのは、かなり重いものがある。

 「え〜い、失敗することには耐えられるが、挑戦しないことには耐えられない」

 健は、汎子の教えを思い出した。「(自分に)負けてはならない」と。汎子は「勝ちなさい」とは決して言わなかった。なら「挑戦しないと言う選択肢ないな」。健は思った。

 「そういえばお袋、俺が小さい時に喧嘩で負けてくると『もういちどやってきなさい。お母さんはそんな弱い子を産んだ覚えはありません』」と言ったなあ。身体が弱かった健には酷な命令である。この時も汎子は「勝ってから帰れ」とは言わなかった。おかげで健は、小中学校で喧嘩で負けて帰ってきても「喧嘩で負けた」とはいわなかった(いえなかった?)。

 顔中腫らして帰ってきても汎子は何も言わなかった。姉の一美が「どうしたの」と聞いても「階段で転んだ」と答えた。そんなはずはないのだが、我が家はこれで喧嘩の話は終わりだった。一度、一つ年上の学年番長に逆らったときに、トイレに連れて行かれ20人ぐらいに取り囲まれて、ボコボコにされた(なぐるのは番長一人)。あれは怖かった、土下座して謝った。もう今日は生きて帰れないかもしれないと人生のうち何度も起きたことのひとつではあったが。

 その時も数週間、顔の腫れはひかなかった。体中の痛さもそうである。心の中では汎子も心配で心配でしかたがなかったが、それは絶対に口に出さなかった。男の子を育てるというのは、こういうことなのだ。令和の時代とまったく異なる。なら昭和でいい。

 後に一美に男の子(健の甥)が生まれた。その時に、汎子が、一美に言った言葉が「男の子はねその日のうちに生きて帰ってくればそれでいいのよ」であった。

 つまり、一美に「覚悟を持って育てなさい」という汎子のメッセージであった。
 健はいま、基本情報技術者の学習をしている。ITど素人の健は、この初級の試験から体験しなくてはならない。学習の学は文字通り「学ぶ」である。「習」の字は「習慣化すること」である。「習」は鳥の羽と胴体を表している。雛鳥が親鳥の飛ぶ姿をみて自分も飛びたいなあと羽をバタバタとすることを意味している。「習慣」のりっしんベ辺は心である。心には欲があって、決めたことをコロコロコロコロ変えるから「心」。「慣」の造りは、下が書いである。お金を意味している上の母に似た字は母ではなく、昔の真ん中に穴があいた銭をバラバラにならないように一つにまとめるという意味がある。

 つまり習慣とは、「コロコロ変わる心を変わらないように一つにまとめて何度も何度も同じことをくりかえす」とう意味である。また習慣はしつけと同義語である。しつけを丁寧語にすると「おしつけ」。つまり、人間は、自分からは変わることがとても困難である。誰かに押し付けてもらはないと。

 この学習:学んだことをコロコロ変わる心を変わらないように一つにまとめて何度も何度も同じことをくりかえす

 が、今の自分にできるかどうか。これも悩んだ。

 基本情報技術者試験「今度のGWは、これに集中しGW明けの試験に合格する。と健は自分に誓った。

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このページは、宝徳 健が2024年4月19日 04:31に書いたブログ記事です。

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