観音経3(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)三月晦日)4

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 観音経とは、観自在菩薩(または観世音菩薩)が衆生の悩みに形を変えて、済度するという意味があります。

 さて、二つ目の文です。


合掌向佛而作是源(がっしょうこうぶつにさぜごん)

です。
合掌して佛に向いたてまつりて、是の言を作さく


 つまり、合掌礼拝して釈尊に向かいて、大衆の為に観世音菩薩のことをお尋ねなさいました。です。

 ここまでは、ここまではお釈迦さまのご説法を覚えていて、それをお経として暗唱した阿難尊者の前置きであり状況説明です。

 般若心経もそうでしたね。釈尊が舎利子(しゃりし)というお弟子さんに語っているという姿です。舎利子(しゃりし)という言葉が2回出てきます。そこの部分が般若心経で述べたいことが書いてあります。

 さあ、二つの文を覚えたぞ😀。

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このページは、宝徳 健が2024年3月31日 20:16に書いたブログ記事です。

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