小説ホワイトカラー純情3(皇紀弐千六百八十四年 令和六年四月十六日)2

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   ある時、母 汎子の兄 舜一が我が家を訪ねてきた。

 祖父は大したものである。昔の大人は古典をしっかり学んでいる。我が家は、朝鮮半島からの引き揚げ者である。母の実家 秋武家は、朝鮮からの引き揚げ者である。長女の名前は、堯子(たかこ)。堯は支那の理想の皇帝である。その存在も消しながら民を幸せにするそんざいだ。
それにちなんで堯子。長男は舜一。舜はその後継。

 その下の母 汎子の「汎」の字には「ひろくてかぎりがない」の意味がある。下の雅子の「雅」は「気品を感じる美しさ」、末っ子の「洋子」の洋は、「限りなく広い様」とう意味だ。キラキラメールを凌駕する。

 堯子は、朝鮮から引き上げてくるときに朝鮮の地で亡くなった。汎子の話によると怒ったことがない限りなく優しい人だった。赤い血をたくさんはいて。亡くなる最後に「りんごが食べたい」と生涯でたった一つのわがままを言った。汎子が朝鮮人に化けて頭に籠を乗せて買いにいった。12歳の少女が当時一人で出かけることは、どんなにかリスクがあることか。

 堯子は、汎子が買ってきてくれたりんごをたった一口、口に含んだ。「ああ、おいしい。みんなごめんね、汚い血をたくさん掬ってくれて。さようなら」と言って命を落とした。朝鮮の土は凍っている。そこをこじ開けて埋葬した。いまだに、堯子は朝鮮に眠る。

 秋武の祖母 アヤは、毎年、敗戦の日になると、仏壇に向かって泣いていた。汎子は、その話を毎年、子供達に話して聞かせた。引揚の凄まじい、朝鮮人とロシア人の日本人に対する行いを含めて。その様子は「ヨーコ物語」「続ヨーコ物語」に書かれている。長く、米国の教科書として採用されてきたが、アメリカの朝鮮系国民の反対で廃止された。敗戦国とは結局、国際社会の中では真実まで消される扱いを受けるのである。

 さて、このような根っこでそだった健は、身体が弱かったものの・・・(つづく)

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このページは、宝徳 健が2024年4月16日 08:33に書いたブログ記事です。

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