三振(みふり)の思ひ出:補足(皇紀二千六百八十五年 令和七年(2025年)四月晦日)4

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始したブログ累計記事 現在10048通目です(後で数えなくていいように)
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  私は、小学校・中学校・高校・大学・社会人を通して、ずっとずっと疑問がありました。なんで、あれだけ豊かで平和で1万年以上も続いた縄文時代が、いきなり弥生時代になったんだろう。って。みなさん、疑問に思いませんでした。あの造形美豊かな縄文土器がいきなり紋様もないそっけない弥生土器になったり、縄文時代の埴輪がいなくなったり・・・。
  以前、北海道・東北地方を中心に高天原=日高見国(ひだかみのくに)が、発達したことは申し上げました。寒冷期になって、その人たちが南下して、全国に天つ神、国つ神が出てきたことも。

 そう、寒冷期になって、支那大陸と我が日本が氷で繋がってしまったのです。だから大量に支那大陸から野蛮人が入ってきました。人殺し軍団です。

 なので、我が日本であの造形美溢れた縄文土器や土偶を作っている暇がありませんでした。だから弥生土器はあんなに簡素になってしまいました。土偶は作られなくなりました。歴史学者はそこで縄文と弥生を分けて、稲作は弥生から大陸から伝わって始まったとします。弥生は素晴らしい!とします。

 古事記で言うと、ちょうど大国主命が兄弟たちに、いじめというには酷すぎる仕打ちをうけ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)に武器をもらいに紀伊半島に行くころです。ここで破壊神 素戔嗚尊がの存在とこれまでの経緯が明確になります。つまり、他国への侵略には武器を持てという。我が日本が破壊神を産んだ理由がここにあります。兄弟たちは支那大陸の野蛮人だったのです。

 天つ神は天孫降臨の前にもこういうシーンに会い続けたのです。海彦山彦の物語もそうです。戦争放棄など綺麗事では国は治らない。だけど、基軸は、そこにあるという二律背反に苦しむ「しらす」という国体。

 神話とは祖先の遺言です。我が日本は、歴史上、支那大陸から離れば離れるほど幸せになっています。でも離ない時は、武力は捨ててはダメだよって遺言を遺しています。

 さあ、あなたが天皇陛下に代わって政治を行うときに、「しらす」という国体を守ることができますか?天皇家はただのほほんと暮らしていたのではないのです。戦って戦って自己とも闘い、そして手に入れたのが、

世界で唯一の立憲君主国

という世の中で最も優れた政体でした。聖徳太子が17条の憲法を作った目的もそこにあります。

 だから、官僚が作るコンプライアンスとか働き方改革=働かない改革などは、だめだとわかっても陛下は何も言うことができないんです。陛下の後継者に口を出す愚かな国民にも口を出すことができないんです。だって、我國の国体は
シラス
なんですから。それを主権者と威張っている国民の関与は異常だ言うことにそろそろ目を覚ましませんか?我が愛する日本が官僚主導でおかしくなる前に。

 メディアのコンセプトは

真実を報道する。それが民主主義を護る唯一の手段である

のはずです。官僚に迎合するな。だから日本がおかしくなっている。

これだけの 本質そろふ 我國で 愚かなるのは 気づかぬ国民

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年4月30日 16:15に書いたブログ記事です。

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